ジャンダルムで揺れた鎖の音

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山と地質と街道とフィルムカメラのブログ 月1回更新

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感情を失う街道歩き【徒歩日光街道】

奥州街道から分岐後の日光街道は約40キロである。1日で歩き切ることができる距離だ。宇都宮までの気分を忘れないうちに、明日にでも来ようと思っていたが、奥州街道を歩いてから気づいたら3ヶ月経っていた。暖かくなってから歩いたら奥州街道のときと気分が変わってしまう気がする。早く歩かなくては。日光街道編スタート。

 

東海道編はこちら(準備編実践編①実践編②

甲州街道編はこちら(

奥州街道編はこちら(前編後編

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https://www.jinriki.info/kaidolist/nikkokaido/

 

始発で宇都宮に向かった。本来の日光街道を知るには日本橋から歩かないと意味がないと、私の中の街道原理主義者が罵倒してくる。その通りである。その声に従ったほうが楽なのだが、日本橋から宇都宮までの奥州街道との重複区間を歩くのは余りにも得るものが少ないような気がした。今回は時間やお金を優先し、宇都宮から歩くことにする。しかし時間やお金を優先するならそもそも街道歩きをするべきでない。矛盾を解決できないまま新幹線に揺られる。宇都宮までは歩いて2日かかったが、新幹線だと1時間で着いた。やるせないワープである。

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宇都宮二荒山神社に寄った、日光二荒山神社とは無関係らしい

宇都宮駅から1.5kmほど歩き、奥州街道日光街道の分岐地点へとついた。既に心の中の街道原理主義者の声を無視してしまったので、今回はさらに戒律を破ることにする。東海道の際に定めた戒律は以下の3点である。

1.走らない

2.歩道と車道のあいだの斜め部分を踏まない

3.左車線側の歩道を歩く

今回は走ってみてしまった。1日で歩き終わる予定であり、明日のダメージを考えなくていいためだ。戒律を決めた当時は完璧なルールだと思っていたが、あっさりと破った自分に愕然とする。状況が変われば自分で決めたルールですら守ることができないようだ。最近、明治の刑法の制定以来、刑の種類を初めて変更したらしいが、今まで変わってないのすごすぎないか。どれだけ考えつくされていたのだろうか。

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追分、3ヶ月前は奥州街道方面へ

日光街道は途中から道が杉並木となる。この杉並木は日光東照宮まで続いている。すなわち参道だ。日光東照宮徳川家康が祀られており、五街道を整備した江戸幕府的には家康は文字通り神様だ。そもそも日光という行き止まりが目的地の道が五街道に含まれているのは他の街道と比較して違和感があるが、おそらくそれだけ徳川の権威が大きかったのだろう。今も多くの関東の学校では修学旅行の行先が日光であり、権威はまだまだ残っているかもしれない。

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杉並木

とはいえ現代もまだ当時からの杉並木が残っているのはこのエリアの都市化が進まなかったからで、都市間を結ぶ交通網としての機能は五街道の他の街道と比べてしまうと低い。五街道に含まれる他の街道では、当時からの並木や街並みが残っているところは、地形が厳しかったりして新たな道がそのエリアを迂回しているところに限られる。東海道の箱根や中山道の馬籠などだ。日光杉並木は日光街道、例幣使街道、会津西街道の3街道に残っており、総延長は37kmにおよぶ。しかしその地形はそこまで急峻ではない。アップダウンの少ない古道がここまで残っているのはなかなか珍しく(並木道としては世界一の長さでギネスに登録されている)、今の感覚はもちろん昔の感覚からしても辺鄙なところに道を整備したのだと思う。

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稲荷神社の鳥居的な感じでオーナー制度がある

そのお陰で日光街道杉並木は街道歩きの試しとしてお勧めできるエリアだ。アップダウンが少なく歩きやすいのに、街道っぽい古い道が残っている。ただし注意点が1点だけ。花粉がヤバいのだ。杉並木なので当たり前である。私が歩いたのは2月だったのでまだ雪もちらほら残っているくらい寒かったが、それでも鼻水が止まらなくなった。花粉症の人が暖かくなってきたころに歩くと大変な目に遭うことは間違いない。時期をずらすか対策をとろう。

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割と雪が残っていた

常に走っていたわけではなかったが、走りを織り交ぜていたおかげで思ったよりも早く日光にたどり着いた。終点がどこか明確に分からなかったためとりあえず社寺のあるエリアまで行くことにする。東京から歩いてきていればもう少し感極まるのかなとぼんやり考えながらお参りをした。街道歩きの回数を重ねるごとに感情の動きが鈍くなり、達成感が薄れてきている。もう残すは中山道のみとなったわけだが、歩き終わったあとにはどんな考えに至るのだろうか。とりあえず歩かないと人生が進展しないので歩くしかないのだが、歩き終わったところで七道駅路とか言い出しそうな自分が容易に想像できる。一生歩き続けるしかないのである。これは人生観とか考え方の話ではなく、物理的な話。

 

総歩行距離:約41km

所要時間:7時間(休憩含む)

 

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日光二荒山神社まで行ってみた