ジャンダルムで揺れた鎖の音

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山と地質と街道とフィルムカメラのブログ 月1回更新

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記憶喪失になったら街道歩きをせよ【徒歩奥州街道前編】

甲州街道を歩いてから1年半が経った。歩くことへの義務感のようなものが抑えきれなくなってきた。奥州街道編スタート。

 

東海道編はこちら(準備編実践編①実践編②

甲州街道編はこちら(

 

街道地図

https://www.jinriki.info/kaidolist/nikkokaido/

街道地図

https://www.jinriki.info/kaidolist/koshukaido/

 

1日目

朝の8時に電車で日本橋に着いた。東海道甲州街道に引き続きまたもや日本橋から出発する。しかしいつもと違う点がある。過去2回は南北に架かっている日本橋の南側から道が始まっていたが、今回は北に向かって出発することだ。ラップしている道がないため、新鮮な気持ちでスタートを切った。

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日本橋の道路元標

 

浅草や千住を通り北へと向かっていく。見知った街が続きまだ安心感がある。この道がどこまで続くかというと福島県の白河だ。奥州街道は東京の日本橋から福島の白河を結ぶ街道である。宇都宮までは同じく五街道日光街道との共用区間となっている。どちらかと言うと日光街道のほうが主体だったようで、宇都宮までは道が日光街道と表記されていることが多い。それなら日光を目指せと言われてしまいそうだが、休みの4日間をフル活用したかったため奥州街道を選択した。日光街道奥州街道よりも全長が短く、日光を目指すと3日間でゴールすることが予想される。白河を目指せば4日間でゴールが見込めるためこちらを選択した。

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雷門前を通過する

 

この思考からも分かるように、今回は歩行の限界への挑戦的な意味合いが小さい。過去の街道歩きから、長距離歩行の方法は自分の中でほぼ確立してしまったのだ。初めて東海道を歩き出したときには、どれくらい歩けるかの不安でいっぱいだった。しかし今はどれくらい歩けばどれくらい疲れるかとか、一日でどれくらい進めるかとか、なんとなく想像ができてしまう。そのため今回は旅としての移動に重きを置きたい。余裕があるほど旅を楽しめるはずだ。

例によって今回も基本的には一人旅だったが、梅島では友人と合流した。街道歩きに理解を示してくれる数少ない(というか唯一の?)友人で、甲州街道のときも一部区間をいっしょに歩いている。やはり人と話しながらだと疲労を忘れることができて歩きやすい。再三の報告になるが、私は決して好きこのんで一人で歩いているわけではない。賛同者がいないため仕方なく一人で歩いているだけである。よっていっしょに歩いてくれる人は常に募集している。

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公募で決めたらしい

 

友人は越谷までいっしょに歩いてくれた。ただただありがたい。この旅ではこれ以降ろくな会話をした記憶がないため、残念ながらこの先の登場人物は私だけである。

この日は19時ごろに幸手に着いたがまだ歩ける気がしてしまい、結局次の街である古河に着いたのは23時ごろだった。

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読み方が「コガ」だとこの旅で知った

 

―1日目歩行距離:約67km―

 

2日目

1日目に歩きすぎた。左足の甲の外側が微妙に痛い。今まで出てきたことのない症状であり、原因が分からない。単純に筋力の衰えだろうか。

2日目はひたすら地方の幹線道路を歩く感じだった。アップダウンもほとんどない。正直言ってつまらない。道がつまらないと足の痛みと向き合わざるを得なくなり非常につらくなる。痛みを忘れようと出来るだけ思考に沈むようにしてしのぐ。街道歩きをしていることを人に話すとたいてい色々と質問を受けるのだが、「歩いているときになにを考えているのか」をよく聞かれる。「なんでこんなことをしているのかを考えながら歩いている」とか言って誤魔化すことが多かったが、実際なにを考えて歩いているのか意識したことがなく自分でもよく分からない。そのため今回はなにを考えて歩いているのかを意識することにした。その結果、考えの内容のほとんどは過去の思い出であった。あの時はこうだったな、そのあとはこうなったなということを思い出していたのだ。普段の思考と異なっていることはもちろん、山歩きのときもここまで過去に囚われることはなく、街道歩きの特徴と言っていいだろう。なぜか。

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ひたすらこんな道を歩く

 

どうしてその思い出に思考がたどり着いたかまで意識して考えると、トリガーがあった。匂いである。ひたすら街道を歩いていると様々な匂いに遭遇する。舗装工事のアスファルトの匂い、銭湯の湯気や石鹸の匂い、庭の山椒の匂い、街路樹の銀杏の匂い、工場のモーターが焦げる匂い、藻が生えた池の澱んだ匂い。知っているけどいつもは嗅がない匂いは、すべてが何らかの記憶を刺激する。車で走っていたらもちろんここまで色々な匂いを嗅ぐことはないし、山だと自然の匂いしかないので匂いの種類が少ない。色々な匂いを嗅ぐというのは街道歩きの大きな特徴なのだ。過去の記憶を掘り返したいなら街道歩きをしよう。私が記憶喪失になるようなことがあったら街道歩きを勧めてほしい。歩けばなんでも思い出せる気がする。

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匂いではないものがトリガーになることもある
このときは使っている石材からこの石の石切場に行ったことを思い出した

 

夕方になり雨が降り始めた。気分が沈むが、もうすぐ本日の宿泊地である宇都宮に着くのでなんとかなりそうだ。宇都宮は何度も来たことがある馴染みの街である。街道歩きの途中で既に来たことのある街を通過する際は、その街の行ったことのある店や宿を見に行くようにしている。車や電車でしか来たことのない街は、ポケモンで行ったこともない街に「そらをとぶ」を使って行けているような状態であり、本当にその街が自分の街からつながって存在しているのかがよくわからない。知っている場所があると、本当にその街まで来たことを実感できるのだ。宇都宮では餃子屋のみんみん本店を見に行った。半年前に友人と行った店である。記憶と完全に一致していたので、どうやら宇都宮という街は現実にあるものらしい。このように自分の認識として宙に浮いて独立して存在してしまっている街の認識をつなげてひとつにしていくことは、街道歩きの目的のひとつかもしれない。いつか日本のみならず世界の認識をひとつにしたいものである。

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みんみん本店、もう閉まっていた

 

―2日目歩行距離:約50km―

 

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