ジャンダルムで揺れた鎖の音

ジャンダルムで揺れた鎖の音

山と地質と街道とフィルムカメラのブログ 月1回更新

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山の同行者には死んでもいい人を選ぼう

今年も雪山シーズンが到来した。行きたいところは増え続け、同行者集めに苦心する日々である。雪山は夏山に比べてけっこう簡単に死ぬ気がするので、1人では行かないようにしているためだ。それなのに雪山に行ってくれる人は夏山に比べて圧倒的に少なく、同行者はほぼ固定化されている。新たな仲間は常に探しているが、誰でもいいわけではなく、ネットで知り合ったようなよく知らない人と行くのはあまりにリスキーである。ハイキング程度なら誰と行っても帰ってこれるが、挑戦的な登山をする際は命を預けなければならない状況が発生することもあるためだ。私は他人を値踏みできるような人間ではないけれど、自分が選ばれる人になれるように、どんな人と組むべきなのか条件を列挙してみる。

 

体力がある

基本的には助け合いが理想である。しかしあまりにも早く体力が尽きるような人だと、いつもこちらが介護する羽目になり行けるとこにも行けなくなる。逆に同行者の方が圧倒的に体力がある場合はこちらとしてはありがたいが、いつも助けられていると罪悪感に苛まれることになる。バランスが大事。

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交代でラッセルできると行動範囲が大きく広がる

 

安定している

精神的にも体力的にも安定している方がよい。波が大きいと振り回されていっしょにいることがストレスになる。精神的にダメになった人を励まし続けるのは非常に疲れる。自分もつらくないわけではないのに介護まですると、こちらのストレスも爆上がる。

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つらい条件の時に介護まですると共倒れする

 

付き合いが長い

色々な経験を共にしている人が理想である。その人がどんなことか得意か、どんな時に疲れるかが分かると、先の見通しを立てやすいためだ。口に出さなくても態度や表情で体調の良し悪しが分かるくらいお互い理解できていると、トラブルの確率がぐっと下がる。

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暑さに弱いのか、寒さに弱いのか、朝に弱いのか、夜に弱いのか

 

話が合う

登山中は話す時間が山ほどある。ずっと沈黙はつらい。楽しく話せる関係でないと心が折れる。特に数日かけるような登山の場合は寝食を共にするため重視する必要がある。

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長い山だと生活のリズムも合わせる必要がある

 

目的を共有できる

山に行く目的は人それぞれである。自分の限界を試す意味で行く人もいれば、綺麗な景色の写真を撮るために行く人もいる。目的を明確に自覚している人は稀であり、だいたい複数の目的がなんとなく混在する。そのバランスが近い人が理想だ。多少違くてもいいが、その人が大事にしたいことの成分が自分の目的にも混ざっていると、ある程度は理解できるので、うまくいくことが多い。

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写真を撮りたい人は機材が重くなるため、スピードを重視する人とはうまくいかなかったり

 

信用できる

まず優先すべき条件である。崖で突き落としてくるようなサイコ野郎と山に登るべきではない。

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山は突き落とされたら一発アウトのところばかりである

 

まあこのへんは当たり前の項目だろう。山に限らずいっしょに旅や仕事をする人にも求めたいような内容だ。しかし山だと特殊な条件を付け加える必要がある。

 

死んだら諦められる

あまりにも大切な人だと危険に晒したくなくなる。危ない目に遭うような山に行ってほしくなくなるのだ。その人になにかあった時に無理して助けようとして、二重遭難の原因になったりもする。その人になにかあっても取り乱さないくらいの距離感が大事。

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なにかあっても冷静でいられるか

 

この距離感を保つのが非常に難しい。信用できるけど大切ではいけない。しかし余裕がない山の中で上辺の関係ではうまくいかないだろうし、密な関係を構築する必要はあるのだ。友人関係よりもビジネスパートナーに近いと言える。大きな問題は、付き合いが長くて、話が合って、目的を共有できるような相手は、たいてい死んでほしくないことだ。破綻した関係である。

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命を預けたことのあるSくん

 

よく議題に挙がるのは、自らの手でザイルを切るかどうかという問題だ。登山をやらない人でもこの問題は聞いたことがあるかと思う。パートナーがザイルに宙吊りとなりザイルを切らなければ二人とも死んでしまうときに、自らの手でザイルを切ることができるかという話だ。理性的に考えれば、どうせ二人とも死ぬなら片方でも生き残ったほうがいいに決まっているが、まあそう簡単に切れる訳がない。フィクションノンフィクション問わず数々の話があるが、迷いなく切った人など聞いたことがない。というかノータイムで切ってくるようなやつは普段の言動からサイコ感が漏れ出してしまうと推測され、信用できるという項目を満たすことができず、山のパートナーとして親密な関係になれると思えない。やはり死んだら諦められることは他の項目と両立することができなそうだ。

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私のとなりで死にかけたことのあるKくん

 

冒険の場では人ではなく犬や馬などの動物が大切なパートナーになることがあるが、その場合は矛盾を抱えた関係が成立することがある。例えば角幡唯介さんは「極夜行」というノンフィクション作品のなかで犬と旅している。犬を旅の同行者として信用し、いっしょに帰りたいと考えつつも、食料が不足した際はその犬も万が一の際の食料としてカウントしている。この例は人間と犬という明確な力関係の差があり種族も違うため、矛盾した関係をなんとか維持できている(ように見える)。ネタバレになるので詳しい話は避けるが、犬相手でも相当な葛藤があるようなので、人間相手に適用するのは厳しいだろう。

 

幸いながら私はこのような命の選択を迫られる状況に遭遇したことはない。ただしこのまま登山を続けていればいつかは直面してしまうと思うし、それなりのヒヤリハットは体験しているのでハインリッヒの法則的にそろそろヤバい気もしている。そもそも命の選択を迫られる状況を避けたいのであれば登山をやらなければいいわけで、登山という行為自体が矛盾だらけだ。ザイル問題はその中の一要素に過ぎない。でも私は山に登りたい。だけど死にたくもない。だから私は信用できるけど死んだら諦められる同行者を探し続ける。いろいろと話がそれてしまったけれど、私のロープが切られても呪って出てきたりしないから、いっしょに山に行こう。30秒くらいは切るのを迷ってくれるような人ならきっと信用できるから。