ジャンダルムで揺れた鎖の音

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山と地質と街道とフィルムカメラのブログ 月1回更新

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中山道最大の難所はなぜか誰も知らない【徒歩中山道③】

五街道歩きをライフワークにして早や6年が経過した。残りはもう中山道の下諏訪以西のみである。さっさと片付けてしまおう。大掃除のような気分で出発した。

 

②はこちら

gendarmes.hatenablog.com

https://www.kumagaya-bunkazai.jp/museum/jousetu/nakasendou/01_a01.htm

 

1日目

東京都府中市の家から始発で下諏訪まで向かった。9時ごろには到着した。甲州街道や前回の中山道で来たこともあり下諏訪は3回目だが、ここから歩き始めるのは初めてだ。

諏訪湖周辺の朝は深い霧に覆われることが多い。この日も例に漏れず濃霧であった。今回歩いたのは11月下旬だ。日差しもなく肌寒いなか歩き始めた。

霧の下諏訪駅

1時間ほど歩くと霧が晴れてきた。快晴だ。道路の電光掲示板によると気温は16℃あり、非常に過ごしやすい。風も弱く環境的ストレスが小さい。順調に進んでいく。

3時間ほどで塩尻を過ぎると谷間の道となった。さらに1時間半ほどで、木曽路の入口の石碑が出てきた。ここから中津川あたりまでは、中央アルプス御嶽山のあいだの深い谷の中を通ることになる。

これより木曽路

同じ中山道なのに、木曽路という別の名前がついているだけあって、雰囲気がほかの区間とずいぶん違う。街が少ない。よって食料調達先や宿泊先も少ない。宿泊先を調べたところ、木曽福島まで空いている宿が見つからなかった。そのため本日は木曽福島を目指す。そして木曽福島の前には鳥居峠があるため、日が暮れる前に鳥居峠を越えることが、本日の目標となる。

鳥居峠奈良井宿と薮原宿のあいだに位置する。約6kmの山道で、中山道屈指の難所として知られる。現在はトンネルが開通しているため、峠道のほうの旧道は当時とあまり変わらず、ちゃんと山道のままだ。夜に越えるのは、なかなかしんどい。

奈良井宿についたのは15時半ごろだった。出張の合間に来たことがあり、見たことのある宿場町である。観光地ということもあり店が多い。ゆっくり休みたいが日暮れが近い。止まらずに通り抜けて山道へと入った。

奈良井宿の入口、山がV字となっている場所が鳥居峠

鳥居峠は意外と近く、山道に入ってから40分程度で到着した。難所と聞いていたので碓氷峠和田峠レベルを想像していたが、そこまでではない。峠への到着は、ちょうど日の入りの時間であった。薄暗くなってきたので急いで降りていく。

鳥居峠、まだ明るい

まだ肉眼で道を視認できるうちに舗装された道へと降りることができた。明るいうちに鳥居峠を越えるという目標は達成だ。あとは木曽福島まであまりアップダウンのない道を歩くだけである。特にトラブルはなかったが、唯一気にかかったことは、やたら寒いことだ。奈良井宿に入る前にみた国道の電光掲示板では気温19℃であったが、4℃になっていた。約3時間で気温が15℃低下している。気温差が非常に大きい。これは砂漠と似た水準である。補給がなかなかできないことも相まって、木曽のイメージが"砂漠"となった1日目であった。

あっという間に気温が急降下し4℃に

―1日目歩行距離:約58km (下諏訪~木曽福島)―

 

2日目

木曽路はまだまだ終わらない。延々と山が続く。道の感じも1日目と変わらない。朝は0℃だったのに昼には16℃になったり、補給地点も少なかったりと、砂漠感も変わらない。まあどうしようもないので淡々と進んでいく。

過去に中津川へよく出張に来ていたこともあり、1日目の奈良井宿と同じく、2日目も寝覚の床や妻籠宿などの過去に来たことのある場所が次々と現れた。思い出を繋ぐ感じが心地よい。

妻籠宿

1日目に続き、長い山道区間の馬籠峠があったりしたものの、特にトラブルもなく進み、日が暮れたあとに、これまたよく知っている馬籠宿にたどり着いた。よく知っているのは、馬籠宿から歩いていける範囲の宿に出張で2ヶ月ほど住んでいたことがあるためだ。その宿の近くを通ると、宿のWi-Fiに勝手に繋がっていた。それは確かに私がそこにいた証のようでなんだか嬉しい。

馬籠の先の落合や中津川周辺は、細かな急坂のアップダウンが続く。こんなに急坂が続く区間中山道のなかでも記憶になく、一番の難所じゃないかという噂もある。ところがこのあたりは住宅街になっており、あんまり難所感がないためか、話にあがることはまったくない。まあ住宅街のため、観光で歩く人もほとんどいないのだろう。ただし「この区間はなめてかかるとけっこうつらいよ」ということを、今後の中山道イカーのために、実体験に伴う知見として共有しておく。

 

―2日目歩行距離:約62km (木曽福島~中津川)―

 

3日目

今回確保していた日程は5日間だ。その期間のうちに中山道を終わらせなければならない。勝手に決めただけだが、終わらせなければならないのだ。しかしなんだか残りが長い。間に合わないような気もしてきたので、睡眠時間を前日よりも1時間削って7時間としてみた。

中山道のなかで木曽路と呼ばれる区間は中津川宿の手前の落合までだ。難所が終わったため、気持ちが昨日までよりも楽だ。もうそんなにつらいところはない、と思っていたら、中津川の次の宿場町の大井宿(恵那)を過ぎたあとに最大の難関が現れた。十三峠と呼ばれる山道である。

大井宿が終わると山に入る

恵那から御嵩まで約30kmにわたってずっと山道が続く。鉄道や幹線道路からも離れた道となっているため、これまた補給や休憩が難しい。中山道の前身とされる東山道は、こんな山のなかではなく現在の幹線道路等と同じ谷底を通っていたようだ。あまりに山が長いため、碓氷峠和田峠よりもつらいという話もある。これについて検討している記事があったので載せておく。

www.masupage.com

この道はとにかく直進性を追及しており、地形を割と無視している。とくにひどいと感じたのが琵琶峠という場所だ。少し南に迂回すれば高低差のない道になったものを、なぜか急坂を歩かせてくる。ただ当時から「歩きにくい」という感覚は持たれていたようで、十三峠をとおる中山道ではなく、中街道と呼ばれる南回りの平坦なルートがよく歩かれていたようだ。地形を無視して直線で街を構成した名古屋の町割りと、同じ空気を感じる。中京圏の文化なのだろうか。

アップダウンを無視して直進する

togetter.com

というようにあまり歩きやすい道ではないが、そのおかげでこの区間中山道のなかで最も、というか五街道のなかで最も当時の雰囲気を残している場所である。ほかの場所では多くが失われている一里塚や石畳が大量に残っているのだ。谷間の小さな集落を繋いでいく感じは、熊野古道とも非常によく似ている。過去を偲ぶ街道歩きにとても適した区間なのは間違いないだろう。

石畳が残る道が多い

そんないい区間がなぜ有名ではないのか。それはあまりにも整備されていないためであると考えられる。宿泊場所やエスケープがほとんどなく、歩くハードルがとにかく高いため、観光地としてアピールすることができないのだろう。本当につらい場所はもはや人が来ない。2日目の十曲峠もそうだが、人が来ないと難所の認知度と実態が合わなくなるようだ。山で本当に危ない場所は写真を撮る余裕もなくなるため、情報が減るのと同じ理屈であろう。大変とか危険という情報がある時点で人は行けているのでそこそこ安全であり、本当に難易度が高い場所は情報すら出てこない。難易度が高い課題は自分で見つけるしかないのだ。

谷間の小さな集落を通り抜けていく

雰囲気がいい道ではあるものの、やはりアップダウンが大きくつらい道でもあり、恵那から御嵩まではたっぷり7時間かかった。御嵩の町に出たときにはもう夕方になっていた。あとは行けるところまで進み、この日は鵜沼で終了とした。鵜沼に着く直前の「うとう峠」が一瞬山道になるのだが、そこで暗い藪の中から正体不明の獣に唸られてとても怖かったくらいで、あとは順調であった。

 

―3日目歩行距離:約62km (中津川~鵜沼)―

 

④はこちら

gendarmes.hatenablog.com