ジャンダルムで揺れた鎖の音

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山と地質と街道とフィルムカメラのブログ 月1回更新

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甲府以降がつらかったのは江戸幕府のせい【徒歩甲州街道④】

③はこちら

 

5日目

ホテルから外に出ると一面真っ白だった。昨晩は暗くてよくわからなかったが、思いのほか雪が深い。雪の積もった歩道をザクザク進んでいく。車の通りが多すぎて除雪されている車道を歩けないのだ。急いで旧道へと逃げ込み乾いた地面を歩く。1時間ほど歩くと茅野の街にたどり着いた。ここまで来るといよいよゴールが見えてくる。ゴールは下諏訪だ。茅野から下諏訪までは、上諏訪で一旦降りるものの、西向き(諏訪湖向き)の斜面をトラバースするように進んでいく。平地にルートを引かずにわざわざ斜面を通していたということは、斜面の下は湿地かなにかで歩きにくかったのだろう。現在はアスファルトで覆われて知ることができない情報を想像することが、街道歩きの魅力のひとつである。まあこれに関しては長い距離を歩く必要がないため、街歩きの楽しみと言い換えたほうがいいかもしれない。当時の状況を想像できるのは、街の見た目が変わっていっても道路の位置と地形は大きく変わらないことが多いからだ。例えば、湿地などは低く平らで道が避けているし、旧河川は微妙な谷地形になっていて道が旧河川に沿って曲がっている。このような視点を持って街を歩くと、観光地で楽しみが増えるのはもちろんのこと、引っ越し先を探すときなんかに地盤のいいところを判断することができる。引っ越すときは候補地の街歩きをしてみよう、治安悪いとかも分かるし。

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眼下に諏訪湖を見ながら進む

諏訪湖を左に見下ろしながら進み、特にトラブルもなく下諏訪の諏訪大社に到着した。甲州街道の終点は諏訪神社から北に少し外れた場所で、中山道との合流地点になる。11時30分、ついにゴール。東海道では達成できなかった、途中中断なしの踏破を達成でき嬉しい。では5日目に歩いた距離と、ルート全体の距離、かかった時間をみてみよう。

 

―5日目歩行距離:約18km―

総歩行距離:約223km

所要時間:87時間=3日15時間(睡眠・休憩含む)

 

意外と距離が長かった。200kmくらいの気持ちで始めたのだが。旧道は現道に比べて曲がりくねっていたのでその影響か。まあそれでも距離は東海道には遠く及ばない。東海道よりも大変だったのは、やはり街が少ないことだ。東海道よりも綿密な計画を立てないと宿泊場所が見つからず痛い目にあう。4日目に白州や富士見のあたりを夜歩いたのは完全にミスで、韮崎を朝一番に出発するべきだったと思う。韮崎宿泊に合わせるとすると行程を10-20km程度後ろにずらす必要がある。そうすると行程全体の理想の宿泊地は、日本橋-八王子-大月-韮崎-諏訪、という感じだろうか。初日の宿泊を自宅にしたのが敗因だったようだ。家の位置に縛られず柔軟なスケジュールをたてよう。私はもうこの反省を活かす機会がないが。

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諏訪大社


甲州街道東海道を地理的な特徴で比べると、特筆すべきは河川の横断回数の違いだ。東海道は大河川がとにかく多い。東京からだと、多摩川相模川、酒匂川、富士川、安部川、大井川、天竜川、木曽川長良川揖斐川と日本を代表する大河川のオンパレードである。これらの河川が作った平地が多く歩きやすいが、一度河川の水量が上がるとなかなか渡ることができない。一方で甲州街道多摩川釜無川くらいしか大河川を横断しない。多摩川東海道よりも上流部を渡るため川幅は狭く、釜無川も大きくはあるが東海道で横断するほどの大きさの河川ではないため水が引くのも早い。そのため甲州街道東海道に比べて山間部を通っているにもかかわらず、安定した通行を期待することができる。この特徴は江戸からの緊急避難路としてすこぶる都合がいい。逃げても川が渡れなくて足止めを食らいましたでは話にならない。たまたまではなくその特徴を考慮したうえで緊急避難路として設定したのだろう。

甲州街道のなかで比較をすると、日本橋-甲府甲府-諏訪で整備のされ方が大きく違う。宿場町の地図を見てみると甲府以降は宿場町の間隔が露骨に広くなっている。緊急避難路としての役割は甲府までであり、諏訪まではおまけ的な感覚だったのかもしれない。諏訪に行くには中山道もあるし、役割としてはさほど重要ではなかったのだろう。私が韮崎-茅野のあいだで苦労したのも、もとをただせば江戸幕府の整備が甘かったことが原因かもしれない。整備が行き届いていれば、街道を通っているのに街を通れないなんてことは起こらないはずだ。

f:id:ktaro_89:20200419110350p:plainhttps://www.jinriki.info/kaidolist/koshukaido/

 

そんなことを考えながら電車に揺られていると、あっという間に自宅の最寄駅の府中駅に到着した。翌日出社したら言われるであろう「なんでそんなことするの」に対する答えを、また用意することができなかった。街道歩きも登山もしばらくはやめられそうにない。強いて言うなら、作家であり探検家の角幡唯介氏の言葉を借りると(やってることのレベルが角幡氏に比べると低すぎるので引用が恥ずかしいが)、

「どうせいつかはやらなければならないことなのだ。もしそれに成功したら、きっと私は自分の人生を少しだけ前進させることができるのだろう。」