準備編はこちら。
足が痛い。それ以外の感情が湧かなくなってきた。理由は単純、歩き過ぎである。人間の体は意外と適当にできていて、
その5日前…
意気揚々と日本橋に到着した。
日本橋は日本の道路の中心である。江戸時代に五街道は日本橋を起点に整備された。道路元標という道路の起終点を示す標識が残り、多くの国道の起点にもなっているため、現在も名実ともに日本の道路の中心となっている。今回はここから京都を目指す。ここから延びる道が京都までつながっていると考えるとわくわくしてきた。さあ、スタートだ。
序盤は都心を通るため信号待ちがとても多い。そのためボーイスカウト業界に伝わるスカウトペースというものを試してみる。スカウトペースは早歩きと駆け足を繰り返す進み方で、時速8kmが目安になる。信号待ちがあるので実質時速6kmくらいになる。快調に飛ばす。このころの自分を殺したい。しかし未来の自分からの殺意に気づくことはできず、進めるだけ進んだ。なお、この旅の主な宿泊先はネットカフェかスーパー銭湯で、ごはんは牛丼屋やコンビニである。現代社会に思いっきり依存しているが、そのへんは許してほしい。
出発してから約1.5日、とうとう難所と言われる箱根に到着した。意外と余裕を残したまま静岡との県境に到着。たしかにキツいけど天下の難所は言い過ぎじゃないだろうか。さあ、長い静岡のスタートだ。三島方面へと下り始める。
下っているとなんだかくるぶしが痛くなってきた。靴が当たってるのだろうか。靴紐を緩めてみる。なにも改善しない。とりあえずしばらく進んでみる。ひどくなってきた。まだ箱根から三島への下り坂は半分以上残っている。ヤバい。余裕とか思ってすいません。膝も痛くなってきた。足は完全に壊れたようだ。足首も膝も左右の足がほぼ同じタイミングで痛くなったので、自分の歩き方はしっかり左右対称らしいことを知る。救いにはならない。雨も降ってきた。自然は無慈悲である。
三島は東海道の石畳を保存する活動が活発であり、歩道が石畳だったりする素晴らしい街である。が、石畳は非常に歩きにくく三島への恨みが募った。当時の私はすべてが敵に見えたようである。街並み保存は非常に素晴らしい活動なので、ぜひ続けてほしい。
翌日はもっと痛くなり、一歩も動けなくなった。いろいろ調べてみた結果、自分の足は関節が炎症を起こしているらしいことを知る。どこでもなんでも調べられる便利な世の中である。起きていることは捻挫と同じで、歩きすぎてなるか足をひねってなるかの違いだけだ。捻挫で歩き続けるって無理じゃないのか。いや待て、捻挫はテーピングが効くはずだ。ググりながら巻いてみたらめっちゃ効いた。痛いけど。動けるようになったので行けるとこまで行ってみよう。ということで、これから東海道を歩く人は膝と足首のテーピングを習得しておくことをおすすめする。ニチバンのテーピングのホームページが丁寧に教えてくれるので分かりやすかった。
テーピング巻き方
テーピングによってまだ歩けるようにはなったが、痛みは一歩ごとにやってくる。それでも歩いていると、1日に1回程度痛みがなくなるタイミングがあることに気づいた。アドレナリンである。アドレナリンが出ているあいだはスターを取ったマリオのようなものだ。速度があがり、さっきまで追い抜かされていた買い物帰りのおばちゃんを蹴散らすことができる。精神的にも無敵感を感じることができるが、調子に乗るとまたもや未来の自分に迷惑をかけることになる。アドレナリンの持続時間は1時間程度であり、その後に反動が来るからである。痛みは戻ってくるし、精神的な無敵感も失われ、買い物帰りのおばちゃんにはまた抜かされる。赤コウラを投げたいが、おばちゃんは買い物袋にバナナを持っていたのでガードされてしまうだろう。
こうして騙し騙し進んでいたが、次第に限界は近づき、冒頭のような状態になった。浜松あたりである。せめて静岡県を終わらせたいと思い、自分の中でのゴールを愛知県との県境に設定した。でも足が痛い。あと30km、5日目、とうとう薬に頼る時がきたようだ。痛みを吹き飛ばす魔法の薬だが、アドレナリン以上に身体へのダメージは大きく、力の前借りになる。アラバスタで言えば「豪水」、魚人島で言えば「エネルギーステロイド」である。なかなか貴重なアイテムだが、そんな薬が市販されているというんだから、日本という国は恐ろしい。日本橋から静岡と愛知の県境までの約280kmを歩いた後遺症は、1ヶ月ほど続いた。バファリンはほどほどに。