ジャンダルムで揺れた鎖の音

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山と地質と街道とフィルムカメラのブログ 月1回更新

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古道で南アルプスを横断する【伊奈街道】

日本人の生活は山とともにある。峠を越えて人が行き来し街が繋がる。現在の地図には載っていなかったとしても、名前が付いているような峠にはたいてい古道が通っている。それは日本最大級の山脈である南アルプスでも例外ではない。

 

※文献調査結果はこちら

gendarmes.hatenablog.com

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大正2年発行5万分の1地形図「大河原」

南アルプスを横断する道は伊奈街道と言う。新甲州街道等のほかの名前で呼ばれることも多い。繋いでいるのは山梨県早川町と長野県大鹿村だ。南アルプスを東西に突っ切るようなルートとなる。この道は明治19年に整備された道で、早川町大鹿村がお金を出し合って整備した。しかし整備が行き届かず数年で荒廃してしまったようだ。寿命が短かったため、その道の地形図への記載は大正2年発行の5万分の1地形図のみにとどまり、ほかの文献による記述も極端に少ない。近年の情報としては、岳人834号(2016年12月)の服部文祥さんの記事がある。私は今までの生活でなにかと大鹿村早川町に関わることが多かったため、服部さんの記事に触発され、実際に行ってみることにした。

 

※大正時代の5万分の1地形図は地形が正確でないため、2万5千分の1地形図に書き込んだ伊奈街道には筆者の解釈が入っています。

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早川から大鹿へ

1日目

中央線で甲府まで行き、身延線下部温泉に到着した。ここから登山口の新倉(停留所の名前は伝付峠入口)まではバスとなる。富士川沿いから巨摩山地を横断し、茂倉集落を通って新倉に降りてからスタートするというプランもあったが、天気と友人の都合により今回はやめておいた。今回の同行者は友人1名だ。以前樹海を横断した際に同行してくれた友人である。今回も1人だと精神的に死にそうなのでありがたい。

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下部温泉で下車

伝付峠入口でバスを降りたのは12:45ごろだった。新倉湧水で水を補給し、しばらく舗装路を歩く。途中工事現場があり、警備員さんたちに話しかけられた。あんまり登山客は多くないようだ。道の荒廃が気になるところである。1時間ほど舗装路を歩くとそこからは登山道になる。はじめは非常に急な登りで一部崩壊もみられた。15時ごろには八丁峠に到着、ここには小屋の跡がある。今はほとんど人が通らないため、小屋が必要な状況はなかなか想像できないが、伊奈街道が現役だった当時の名残なのだろう。ここからはトラバース気味の道で内河内へと降りていく。その道も錆び付いたワイヤーが残っていたり、あちこちに人の気配が残っていた。

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八丁峠の平場、小屋の跡

内河内に降りてからは川に沿って進む。岩壁を削って作った道が多く、手間がかかっている。ここの雰囲気は北アルプスの水平歩道に似た感じだ。水平歩道よりもやや荒い作りではあるが。保利沢と分岐する箇所には東電の小屋があった。この谷には電線が張り巡らせてあり、水力発電のための取水口や水力発電所があちこちにある。その点でも水平歩道がある黒部峡谷と似ているかもしれない。山が多い日本では、位置エネルギーが重要な資源となる。都会に住んでいたとしても、山に支えられた社会であることは間違いない。

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東電小屋

東電の小屋から30分ほど歩くと取水口がある。2万5千分の1地形図ではずっと左岸側を歩くことになっているが、実際の道はそこから右岸側についている。川の対岸へと渡ると、一気に道が悪くなった。ヤブが深く道を探すのに時間がかかる。取水口のある場所までは、メンテナンスのために定期的に歩く人がいるのだろう。山のなかでも気づかずうちに東電にお世話になっていたようだ。

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取水口上流部の滝、ここで対岸に渡る

ヤブをかきわけ1時間ほど進むと、アザミ沢とヨモギ沢の出合に到着した。出合から先は、谷から外れ尾根に取り付く。尾根への取り付きは、山と高原地図や2万5千分の1地形図でそれぞれ位置が異なっているが、今の取り付きはヨモギ沢に少し入ったところにある。尾根にとりつくとすぐに整地された平場があり、ここにも小屋があったことが伺える。ちなみにこの時点で時間は17時半、周りは薄暗くなってきている。この平場でも快適に泊まれそうだが、明日は天気が悪くなりそうなのでもう少しがんばることにした。

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薄暗くなってきたが道ははっきりしている

尾根に入ってからは再び道がはっきりし、歩きやすくなった。周りの森は整備されており、林業関係者が道も整備しているようだ。疲れてきた身体にはありがたい。大正時代の5万分の1地形図によると、この尾根の途中から伊奈街道は現在の登山道よりも北にそれていく。痕跡を探そうと思っていたが、薄暗い山の中ではなにも判断することができなかった。今後の課題として残しておくことにする。その後、ライトなしでは歩けない暗さにになったころに伝付峠手前の水場にたどり着き、1日目はここにテントを張った。水場に着くころには雨が降り出していた。

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1日目①

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1日目②



2日目

夜テントのなかでふと目が覚めたとき、テントの周囲をなにかが歩き回っている気配がした。水場は動物も利用しているのだろうか。クマだったら終わるなと思いながら、ドキドキして息をひそめていたが、少しすると離れていった。翌朝になって周りを確かめても、特に足跡は残っていなかった。鹿だったのか、はたまた超自然的ななにかだったのかは分からない。いずれにせよ、ここは人間のテリトリーからは外れている。逃れる術はないので、身を任せるのみである。

昨晩から降り出した雨は夜のあいだも降り続け、朝になっても止んでいなかった。雨が降っているなかテントの外に出るには、汲み取り式の便所に素手を突っ込むくらいの、勇気と精神力を必要とする。それくらい嫌なのだ。もう二度と雨の山でテント泊はしないと誓う。おそらく20回目くらいの誓いである。山から下りると忘れてしまう。私は学習能力のない頭の弱い人間である。覚えているうちにここに文字として残しておき、未来の自分が読み返して思いとどまることを切に願う。

水場を出発し10分程度歩くと伝付峠に到着した。ここは伊奈街道があったころの伝付峠からはやや南にずれている。伊奈街道は現在の伝付峠から500m程度北から西にのびる尾根に入り、北の沢に下っていたようだ。沢沿いの道が残っている気がしなかったので、現在の登山道を下ることにした。この日は少々道を急いでいる。伝付峠はなぜか東京にある自宅よりも電波状況がよく、天気をしっかり調べることができたのだが、14~15時ごろに大雨となる予報が出ていたからだ。大鹿村まではまだ遠く、小雨のうちにできるだけ進んでおきたい。

二軒小屋まで下ると大量の車が停まっていた。作業着を着た人がそこらじゅうで歩き回り、もはや町の体を成している。今年は小屋を営業していないと聞いていたので人がいないと思っていたら、林道整備工事の拠点となっているらしい。最悪この先で進めなくなっても、ここまで戻ってきて頼み込めば静岡側までダンプに乗せてくれそうな気がした。この時点でフェアな山行ではなくなってしまたかもしれないが、ちょっと安心して先に進む。

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二軒小屋には人や車がいっぱい

ここからはしばらくは林道歩きだ。田代ダムの脇を通り北へと進み、分岐で西俣へと入っていく。分岐から15分ほどで発電所を通り過ぎると、長く続くと思っていた林道歩きが早くも終わりを告げた。橋の前後の道が落ちている。なんとか橋をよじ登り対岸へと進んだが、そこでは道がえぐれてなくなっていた。ここではなんとか岩を伝い対岸へと渡ったが、この先もこのような道の崩壊が連続し、サンダルに履き替えて渡渉を繰り返した。基本的に川の攻撃斜面や谷の出口はほとんどなにかしらのダメージを受けていた。このあたりの伊奈街道は北側の斜面の高いところをトラバースしているため、谷底の林道から確認することはできず、残っているかは定かではない。このトラバースは、西俣と東俣の間にのびる尾根を峠越えして始まっている(下に道があるのに峠越えする元気はなかったので通らなかったが)。これはおそらく1日目に歩いた八丁峠に道がついていたのと同じ理由だ。谷底の道の維持が困難と分かっていたため、あえてアップダウンの大きい場所に道をつけていると推定される。その選択をするためには相当な経験の積み重ねが必要であり、伊奈街道が街道として機能していた期間だけでは明らかに足りない。伊奈街道は正式な街道としての寿命は短かったかもしれないが、それよりもはるかに長い期間を杣道として利用されていたのだろう。車両を通すための幅が広い林道を作るようになってからの経験は、杣道の経験に比べまだまだ浅いのだ。あと数百年後には林道にも経験が積み重なり、崩れない場所がわかっていくのではないだろうか。

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洗掘された道

しばらく進むと、工事現場が現れた。道が落ちているのでもちろん人はいないが、重機が何台も置いてある。いつからここに置き去りになっているか知らないが、リース代が心配になる光景である。この先からは林道がさらに荒れた。今までの林道はこの工事現場に来るために整備されたものだったらしい。工事現場の先では、林道のだいたい半分が通行不能となっており、さらに渡渉が増えた。どうやらこの道は小西俣と中俣の合流地にある西俣堰堤や、そこからのびる導水路トンネルの工事用につけられた林道のようだ。この導水路トンネルの行先である二軒小屋発電所は平成7年(1995年)から稼働しているらしいので、林道が使われなくなってから25年ほどだろうか。25年でここまで壊れてしまうことを考えると、人間による営みはあまりにも寿命が短い。最近は自然のなかになにかを作ろうとすると環境破壊が叫ばれ、自然を保護する流れが高まっている。たしかに多少の影響は与えてしまうのだが、人間が整備をやめるとあっという間に自然に飲み込まれてしまう。壊すにしろ守るにしろ人間が制御できるようなものではない。自然を壊すはもちろんだが、自然を守るといった考え方も、人間を過大評価しすぎている気がする。人間が数年かけて土砂を移動しても一度土砂崩れが起きればそれ以上の土砂が一瞬で動くし、地球温暖化だって地球規模の変動のなかでは変化が小さすぎて人間の出した温室効果ガスの影響など誤差にすぎない。環境破壊という言葉は自然環境そのものの破壊ではなく「人間に悪い影響を及ぼす人間による環境の変化」を指している。言わば自業自得をやめましょうということだ。環境破壊を止めると言うのは、人間があたかも自然に対する選択権を持っているようで聞こえがいい。しかし、環境保全はあくまで人間を守るためのものであり、自然環境ではなく人間が主人公の考え方であることを忘れてはならない。本気で自然環境のことを考えて自然優先で物事を考えると、人間を滅ぼすテロリズムに行き着く可能性があるので、やめておいた方がいい。

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渡渉を繰り返す

小西俣と中俣の出合には、コンクリートの擁壁で囲まれた台地があった。導水路トンネルの発生土置き場だろうか。もう正午を回っており、本格的に雨が降る前にここを幕営地として決めてしまいたい。地形図に書いてあった橋は今はない。渡渉をして台地に登ると水はけのいい平坦地が広がっていた。最高の幕営地である。誰もが同じことを思うようで、焚火の跡がみられた。急いでテントを張ると、じきに雨が強くなってきた。ぎりぎりセーフだったようだ。夕方には雨がやみ、いろいろと乾かすために焚火を試みたが、直前まで雨にあたっていた薪ではなかなか火がつかず、火が安定したころにはもう寝る時間となっていた。焚火に奮闘しているあいだにまた小雨が降り始め、より服が濡れる結果となった。いいことねえな。

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小西俣と中俣の合流部、真ん中はコンクリート擁壁で囲まれた台地

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2日目①

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2日目②

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2日目③

 

3日目

テントを出ると星空が広がっていた。意気揚々と出発する。ルートは中俣を選択した。伊奈街道は尾根を上るようだが、そちらの道はすぐに荒廃し、昭和には中俣沿いの道があったらしいからだ。あとは、三伏峠手前の三伏沢が歩いて楽しそうだったからというのもある。服部文祥さんの表現に倣うと、谷底の等高線が丸みを帯びており、急すぎない、いい感じの沢な気がする。

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中俣を遡上

中俣には道が見当たらず渡渉も多いため、諦めて登山靴のまま川に突っ込んだ。沢は水も岩も美しいが、思ったより急峻だ。ここまでの沢登りは想定しておらず、技術も道具も足りていない。昨日の雨でやや増水もしている。慎重に進み、北俣との分岐まで来た時点で1時間半も経っていた。このままだと今日中に三伏峠まで行けるか怪しい。しかもこの先の塩見沢との出合付近は谷が狭く、さらにペースがおちそうだ。検討の結果、沢を進むのは諦めて尾根に登ることにした。中俣と三伏沢は今後の宿題にしよう。本来の伊奈街道が通っていたはずの尾根を目指して登る。最初は崖を登っているかのような急登だったが、尾根に出ると歩きやすくなり、人の痕跡も残っていた。痩せ尾根となっている場所には索道の跡があり、東側の斜面にワイヤーがのびていたのだ。このあたりは皇室所有の御料林だったらしく、その名残かもしれない。

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尾根上に残されていた索道

 本来の伊奈街道が通っている場所まで来ると、明瞭な道があった。伊奈街道が残っているところもあるかもしれないが、明らかに最近整備されている。倒れた木は切ってあり、こまめにピンクテープで道が示してある。最近の地形図には道が示されていないが、誰かがここに再び道を通そうとしているのだろうか。ヤブ漕ぎを覚悟していた身としては、非常にありがたかった。ただ、いつの間にかピンクテープを探すだけの普通の登山となってしまったことは否めない。やはりあるものは使ってしまう。甘えなのかもしれないが、ここでわざわざピンクテープを無視するのも違うだろう。またいつか完全に道がない場所に行った時まで、この気持ちはとっておくことにする。

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明瞭なルート

尾根を半分ほど登ったところで、伊奈街道は尾根を外れ北側の斜面へとトラバースして三伏峠へと向かう。大正時代の5万分の1地形図は、等高線に関しては当てにならないため、どこで尾根を外れるのかを断定することはできない。しかし歩いていると、それっぽい小道があった。ただの獣道かもしれないが、大正時代の地形図と位置はだいたい合っている。行ってみたかったが、このトラバース道が今も維持されている気がしない。ピンクテープはトラバースせずに、そのまま尾根を進んでいる。崩落で通行できず戻るような目に遭うことを考えると、進む勇気が出なかった。このトラバース道も今後の宿題だ。こちら側から進むのはリスキーなので、三伏峠側から軽い荷物で進むほうがいいのだろう。

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トラバース道入口?

そのまま尾根を進むと森林限界に達した。道はまだ整備されているため、おそれていたハイマツのヤブ漕ぎもしないで済んでいる。しかし、急に雲が湧き、雨が降ってきた。本当にいいことがない。尾根ルートに変更してから稜線での景色を楽しみにしていたのに、叶わないようだ。一般ルートの稜線に出ても雨はやまず、なにも見えない。もう二度とこんなとこ来るかと思っていたが、一瞬だけ雲が抜け、周りの景色を見ることができた。やっぱりもう一回くらい来てもいいかもしれない。見事に心が揺さぶられている。山はツンデレである。

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一瞬景色がひらけた

もう一般ルートなのであとは下るだけだ。4年ぶりの三伏峠を通過し、大鹿村を目指す。三伏峠は名前のついた峠のなかでは、日本で最も標高が高い。これこそ伊奈街道があったなによりの証拠である。このような地形は、尾根上の道しかない場合は峠という名前はつかず、鞍部やコルといった名前になる。尾根を横切る道があったからこそ、峠という名前になるのだ。よって今回のルートは三伏峠を正しく体験することができていないと言える。東側の三伏沢から峠に入っていないからだ。今後の宿題が積み重なっていく。

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三伏峠

本来ならこの登山は鳥倉登山口まで歩いて終わるはずだった。しかし、今回は鳥倉から先もまだまだ長かった。崩落により林道が通行止めになっていたのだ。土砂の撤去は終わっており歩いて通ることはできるのだが、ゲートは閉まったままである。山に行く前から分かってはいたが、いざ歩くとなると非常にめんどくさい。最寄りのバス停までは17kmだが、最終便は15時台のため既に終わっており、電波が通じるところからタクシーを呼ぶ作戦だ。6.7kmを歩いたころ夕立神展望台の駐車場でお兄さんに話しかけられた(実際は50歳だったらしいのだが、非常に若く見えたためお兄さんとしておく)。明日塩見岳に登りに行くため、今日は駐車場で車中泊をするらしい。タクシーが呼べるところまで歩いていることを話すと、なんと大鹿村の中心まで送ってくれるとのこと。3日間風呂に入らず雨にあたり続けお世辞にもきれいとは言えない我々をマイカーに乗せてくれるなんて、なんと心の広い人がいたものだろうか。私も今後車に乗っているときに歩いている登山客がいたら必ず乗せることにしよう。そして村からはタクシーに乗って松川ICまで行き、タクシーを降りたらすぐに高速バスに乗ることができたため、あっという間に東京に帰ってきてしまっていた。なぜか2人とも家系ラーメンが食べたくなっていた。数日間同じものを食べて同じ運動をしていると同じものが食べたくなるらしい。シャワーを浴びてからラーメン屋に向かう。あいみょんが流れている深夜の家系ラーメン屋は南アルプスで雨にあたる日々とのコントラストが強すぎて、西俣で目覚めて星を見たのが同じ日だなんて、どうにも信じることができなかった。

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3日目①

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3日目②

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3日目③