ジャンダルムで揺れた鎖の音

ジャンダルムで揺れた鎖の音

山と地質と街道とフィルムカメラのブログ 月1回更新

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人生で最も遭難に近づいたときの話

遭難。「災難に出あうこと。特に、登山や航海などで命を失うような危険にあうこと。」登山とは切り離すことができない問題であり、誰しも遭難する可能性がある。遭難の原因はたいてい複合的だが、遭難者の行動ミスや判断ミスが主因となっていることが多い。そのため遭難したとき、しかけたときの手記はなかなか世に公開されない。誹謗中傷の的となってしまうからだ。現代のネット社会は遭難になかなか厳しく、某ニュースサイトでは遭難のニュースに対して罵詈雑言のコメントで溢れかえっている。登山雑誌の特集になることもあり、そこにはたいてい体験談が出てくるが、いかんせん数が少ない。しかし失敗例は共有するべきである。特に遭難というジャンルは命に関わるため、失敗例を共有することで、どこかで他人の命を救う可能性がある。ということで今回は私が人生で最も遭難に近づいた時の話を記す。俺みたいになるな。

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https://www.tv-asahi.co.jp/shikujiri/

 

1日目

松本インターで友人と集合した。夜行バスで大阪からやってきた友人を、私が東京で借りたレンタカーで拾う。友人は夜行バスであまり寝れていないようだ。私はネットカフェで7時間しっかり寝ることができたため、体調はいい感じである。そのまま中房温泉へと向かった。今回の目的地は大天井岳である。1日目に大天井岳の冬季小屋へと泊まり、2日目に常念岳を回って東へと降りる計画だ。そのため計画を予定通り遂行した場合は中房まで車を回収しに来ることになる。面倒だが穂高駅から中房温泉までのバスの時間が合わなかったため致し方ない。ちなみにこの山行の実施時期は4月末である。中房温泉までの道は冬季通行止めが解除されている。それに伴い燕山荘や常念小屋も営業を開始しているため厳冬期よりも安心感はある(大天荘はやっていない)。

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安曇野IC近く、晴れていて北アルプスがよく見えた

中房温泉に到着した。車を停め登山届を書き、6時45分ごろに登山を開始する。まだ登山道に雪はない。晴れており気温がそこそこ高く人も多いため、夏山のようである。順調に進んでいくと、第二ベンチあたりから溶け残った雪が現れはじめた。第三ベンチあたりからは土を踏むこともほとんどなくなり、アイゼンを装着する。ただしまだ雪は薄くトレースもしっかりしているため、ペースが落ちるほどではない。営業中の合戦小屋でコーラを買いつつ登っていき、燕山荘にはコースタイムよりもやや早い10時30分ごろに到着した。稜線に出るとさすがに風はあったがまだ晴れており、特に支障はなさそうだ。ただしこの日は午後から天気が崩れる予報だ。低圧部が近づくことと湿度が高いことから、山には雲がかかり雪が降りそうである。移動性低気圧や前線由来の悪天候ではないたため大荒れにはならなそうだが、急ぐことにしよう。

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怪しい雲がかかり始める

ここからはトレースがまだあったものの、行った人数が少ないようで雪が深く非常に歩きにくくなった。踏み抜きも多々起こる。やばそうだったら引き返そうと話しながら進んでいく。燕山荘から大天荘の冬季小屋までのコースタイムは3時間だ。11時前には燕山荘を出発したため、順調にいけば14時前には到着することになるので、時間には余裕がある。一方で歩みはなかなか進まず、燕山荘~大天荘までの3分の1程度進んだ地点ではコースタイムの1.5倍程度の時間がかかっていた。体力的にも少々しんどい。それでもまだ15時台には到着できそうな時間であり、続行を決定する。

天気は少しづつ悪くなっていき、燕山荘~大天荘の2分の1をこえたあたりでは霧に巻かれて視界はなくなり、風は強く、弱い雪が降っていた。依然として雪は深く、体力的にもかなり厳しくなり、ペースが落ちていく。ただしもう進む方が距離が短い。今まで進んできた距離を考えると、戻るには遠すぎる。このままだと到着が16時を過ぎそうだが、なんとか日が暮れる前には着きたい。

燕山荘〜大天荘の3分の2あたりで状況が一変した。トレースがなくなったのだ。前を進んでいたパーティはテントを持ってきていたらしく、この日のうちに大天井まで行くのを諦めて雪洞を作っていた。私たちは冬季小屋泊予定のためテントは持ってきておらず、ツェルトのみであった。この天気でツェルト泊は死んでしまいそうな気がしたので、続行するほかない。

地獄が始まった。既に消耗した身体でラッセルである。私の体力は底を尽き、30秒に1回は止まって息を整えないと動くことができない。そんななかでも友人は積極的にラッセルを行ってくれた上に、私を待っている間にGPSで現在位置の確認を行ってくれていた。どうしようもないほど迷惑をかけている。帰ったら鍛えなおそうとか考えながら歩いているが、帰れるか分からない。身体に蓄えられているエネルギーも足りていない。今回は八ヶ岳冬季横断の反省を生かしゼリー飲料を12袋持ってきていたが、既に使い切っていた。想定よりも圧倒的に消耗が激しい。消化器に回すエネルギーはもうなく、パンやお菓子を消化できるきがしない。ゼリー飲料を持ってきていなかったらとっくに動けなくなっていただろう。 

 

 

ふらふらと歩いていると人影が見えた。幻覚である。残雪期富士山の際と同様に幻覚の条件がしっかりと整っている。今回も前回の幻覚と同じくまだまともな話はできているのが救いだ。また、なにか黒い影が浮いて動いていると思ったら木の影であった。自分が揺れていることが分からなくなっている。三半規管が弱ってきているようだ。標高も3000m近くあるので、高山病の症状の一種かもしれない。今度はテントが見えた。友人にも見えていたのでこれはどうやら現実らしい。主観的判断がまったく信じられない。テントはトレースがほとんどないなか急に出てきたので、天気が崩れた時点で停滞を開始したのか、大天井側からきたのかは不明である。

冬季の大天井岳では、雪崩リスクが高いため大天荘に直接通じているトラバース道を使うことができない。大天井岳頂上へとのびている尾根を直登することになる。この道が信じられないほどきつい。息が苦しい。風も徐々に強くなり、踏ん張る力のない身体は簡単に転がされる。転んだ先には岩があり、右腕前腕を強打した。痛い気もするが感じない。もはや自分がなんのエネルギーを使って動いているのか分からない。肝臓に蓄えられているエネルギーはとっくに切れているはずである。気合と根性としか言いようがなく、命を削っている感じがした。遭難が頭のなかにちらつく。いつ動けなくなるか分からない。こんなところでツェルトと寝袋にくるまり一晩過ごしたらどうなってしまうのだろう。救助を要請したとしても、天気も悪く夜が迫ってくるため明日以降になるだろう。よって今日のうちに小屋までたどり着かないと文字通り死ぬ可能性がある。

いくつかの偽ピークを越え心が折れそうになったころ、とうとう大天井岳の頂上に到着した。時間は18時前で、薄暗くなってきている。写真を撮る余裕はもちろんなく、急いで冬季小屋を目指す。15分程度歩くと一瞬霧が晴れ、小屋が姿を現した。幻覚でないことを友人に確認し助かったことを知る。幸いなことに小屋の扉は雪で埋まっていなかった。冬季小屋の上下方向の引き戸を持ち上げ小屋に転がり込む。誰もいない。なにもする気がおきないが、動かないと危険だ。緩慢とした動作で装備を解く。湿った風にあたり続けたため、全身に氷の玉ができていた。頭も身体も重いが、食べないと死ぬ気がする。雪を溶かしお湯をつくり、無理やり食べ物を口に押し込んでいく。気温はマイナスだが-5℃程度でそこまで低くなく、風がない小屋の中では深刻な寒さではない。強打した前腕は出血していたものの、骨に異常はなく、温かいものを飲んだら痛みが戻ってきた。

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帽子が凍って髪から離れない

体力が少し回復してきたころに翌日の話をした。小屋に人がおらず周囲にテントもなかったため、常念岳方面のトレースは望めない。よって、翌日は来た道を戻ることにする。天気は0時ごろから晴れる予報だ。ただし12時前からは移動性低気圧が接近し、大荒れとなる。早めに動いたほうがいいが、睡眠時間を削ると今度は体力的に持たなそうなコンディションだ。睡眠は8時間確保することにし、翌日できるだけ早い行動を心がけることにした。

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1日目①

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1日目②

 

2日目

朝5時に起床した。一晩中強い風が小屋を揺らしており、何度も目が覚めた。朝ごはんを食べ外に出ると、そこには天国のような光景が広がっていた。実は昨晩死んだことに気づいていないのだろうか。ただ天国にしては風が強すぎるのでおそらく現実である。昨日よりも風が強い。常に20m/sは超えていそうだ。昨日歩いた道を少しづつ引き返していく。昨晩は大量の雪は降っていないようで、自分たちのトレースはそれなりに残っていた。体力もやや回復し晴れているので、昨日歩いた道を快調に進む。大天井ヒュッテと大天荘への分岐近くでは、昨日尾根上でテント泊をしていたパーティとすれ違った。ここから先はさらにトレースがはっきりし、より歩きやすくなった。一方で体力は回復しきっておらず、徐々にペースが落ちていく。特に登りでの息の上がり方が尋常ではなく、コースタイムの1.5~2倍の時間がかかっている。大天荘~燕山荘の2分の1程度進んだ地点では霧がかかり、弱い雪が降ったりやんだりし始めた。低気圧が近づいている。

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大天荘

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槍ヶ岳方面

風はどんどん強くなっていき大天荘~燕山荘の4分の3程度進んだあたりでは、今までで経験したことのない風が吹き始めた。おそらく瞬間的に40~50m/s程度の風となっている。油断すると斜面を身体ごと転がされて、崖の下に落ちてしまいそうだ。耐風姿勢というのは狙ってやるものではなく、風が強いと勝手にそのポーズをとらざるを得なくなることを知った。風が弱まった瞬間を狙って歩き始めるが、再び風が強くなる瞬間を読むことはできず、柔らかい雪と弱った足腰で踏ん張りも効かないため、50回は転んだと思う。起き上がる体力もきついが、精神的にめちゃくちゃきつい。

結局コースタイム3時間のところを5時間かけて、燕山荘に到着した。昨日と変わらず営業しており、生きて帰ってこれたことを実感する。食堂でインドカレーを頼みしばらくゆっくりと休憩した。テレビに映されている天気図では移動性低気圧が迫ってきていた。あとは合戦尾根を降りるだけだ。風は西風であり、下り始めると燕山荘までの突風が嘘のように穏やかになった。トレースもしっかりしており、コースタイムよりも早いくらいの時間で中房温泉まで無事に下山。車が中房に置きっぱなしになっていたことが不幸中の幸いとなり、松本まで車で移動し温泉に入り解散となった。帰宅後の友人は体重が4kg落ちていたようで、命を削った量が表れていた。

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2日目①

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2日目②

 

反省点

結果的には救助も呼ばずビバークもせず、ただ小屋に到着したのが遅れただけであった。日が暮れて真っ暗になったわけでもない。たいしたことないと言えばたいしたことないが、体力や条件があと少し変わっていたら遭難になっていたのも事実だと思われる。

まず「途中で引き返す」という判断をどこかでするべきであった。体力、天気、トレースとすべての条件が悪化していったため、自らの消耗への見通しが甘かった。消耗により累乗的に時間がかかることを定量的に考えなくてはならない。現地では時間がかかりそうということはわかっていたものの、漠然とした考えに留まってしまっていた。今回は3分の1程度進んだ地点でコースタイムの2倍くらいかかっていたら戻ろうという話はしていたものの、その基準は超えていなかった。そして半分まで進むともう戻る気にはなれなかった。距離的な半分は必ずしも時間的な半分ではなく、戻る基準をさらに細かく設定しておく必要がある。

次に装備についてだが、テントを持っていくべきだったのかが悩みどころだ。テントがあればトレースがなくなった時点で私たちもテント泊することができたが、冬季小屋泊予定でわざわざ荷物を重くするのもそれはそれで危険である。テント分の荷物が重かったら冬季小屋までたどり着けていたか怪しい。状況に応じてとしか言えないが、今回に関しては持っていけばそこまで追いつめられる前に宿泊をしていたとも思う。

食料に関しては、ゼリー飲料をもっと持っていくべきであった。過剰に持っていったつもりだったが全然足りなかった。保存の効くものなので、非常食も兼ねて大量に常備しておくことが望ましい。

天気に関しては、悪くなるのが分かっていたのなら行くなと言われればそれまでである。ただし移動性低気圧や寒気に突っ込んでいったわけでもなく、このレベルで中止の判断を下した場合、どこにも行けなくなるのが現実だ。「挑戦的な登山をするときはやめておくべき」といったところだろうか。ちなみに私たちが下山した日の移動性低気圧はそこそこ規模が大きく、翌日は遭難のニュースで溢れかえっていたので、この日に登る計画なら中止が無難である。

あとは他人のトレースを信用しないこと、そしてもっと体力をつけることだろうか。ラッセル前提で山に入ったとしても、トレースがあるとその速度のまま目的地まで進める気分になってしまう。そして体力に関してはいくらあっても困ることはない。今回も体力があればなんの問題も発生しなかった。最も大きな原因といってもいいかもしれない。

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1日目15時の天気図

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2日目9時の天気図

 

いつ救助要請をするべきか

今回の山行で疑問に思ったのは、いつ救助要請をするべきかだ(電波が通じる場合の話。通じなければそこで諦めるしかない)。冒頭で述べたように遭難の手記はなかなか出てこないが、特に疲労遭難はその傾向が顕著で世の中にほとんど出ていない。そのためどのタイミングで救助を呼んだかを過去の例から知ることができない。一方で滑落や落石による怪我は救助を呼ぶタイミングを迷うことはない。たいてい動けなくなるため救助を呼ぶほかなく、迷う必要がないのだ。ところが疲労遭難の際は、動けなくなるまで動くと救助を呼ぶことすらできなくなる。1歩踏み出すのはそこまで大きなコストを必要としないため、それすらもできなくなるまで疲労すると、救助を呼ぶ行動すらできなくなってしまうのだ。疲労凍死した登山者の荷物からまだ着ていない防寒着が出てきたというのはよく聞く話で、健全な状態ならば簡単にできることであっても判断・行動ともにできなくなるのが極度の疲労だ。呼べたとしても動けなくなるほど疲労した状態で夜をこすのは難しい。エネルギーが枯渇しているためあっという間に体温が落ちていく。

ならば余裕を残した状態で救助を呼べばいいかというと、それはそれで問題がある。安易な救助要請に繋がってしまうのだ。また、多くの登山者は社会的体裁やプライドが邪魔をして、まだ動けるのに救助要請を行うことはできないと推定される。いざ呼ぶとなると話が大きくなるのが怖くなって、まだがんばれるとか思ってしまいそうだ。ただし今回の山行のように複数人でパーティを組んでいる場合は、誰かが動けなくなったときに呼べばいい。全員が完全に同じ体力ということは考えにくく、誰かが動けなくなっても誰かは救助を呼ぶだけの体力が残っているだろう。今回の山行ならばおそらく私が先に動けなくなっていた。

ということで結論を出すことはできなかったが、定量的に自分があと10分歩くと動けなくなるとかが分かれば、解決する話ではある。今回の山行で私があとどれくらい動けたかは分からないが、とりあえず今回のレベルまではまだ動けることが分かった。今回の感覚を忘れないようにしつつ、自分の身体の状態を客観的に正確に把握できるよう、感覚を研ぎ澄ます必要がある。