ジャンダルムで揺れた鎖の音

ジャンダルムで揺れた鎖の音

山と地質と街道とフィルムカメラのブログ 月1回更新

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厳冬期の八ヶ岳を横断する

現在、八ヶ岳には車道が通っている。1966年に麦草峠を通るルートで東西に貫かれた。しかし、車道開通以前は麦草峠ではなく、夏沢峠が八ヶ岳越えのメインルートであった。南北に長い八ヶ岳北八ヶ岳南八ヶ岳に分けられるが、その境界が麦草峠ではなく夏沢峠なのはその名残である。広大な八ヶ岳は南北に縦走されることが多いが、今回は夏沢峠を東西に抜けて車道開通以前の幅を実感してみよう。

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小海町から富士見町へ
1日目

佐久平駅で友人と集合した。私は東京在住なので新幹線で、友人は大阪在住なので夜行バスでの移動である。乗り物に弱い友人は食欲がないらしく、エネルギーの補給を化学物質に頼りきっていた。

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友人の朝食

佐久平からは小海線で移動する。集合してから電車出発まではやや時間があり、寒いので構内で待機した。ちなみにこの山行の実施時期は1月だった。夏沢峠を越えるのに真冬である。なぜなら我々は天の邪鬼だからだ。強いて言えば厳冬期八ヶ岳横断という甘美な響きに吸い寄せられてしまっただけだ。

佐久平からは1時間程度電車に乗り、松原湖駅で降りた。今回はバスに乗らずここから歩くことにする。バスに乗ると山の中腹まで行ってしまうので、八ヶ岳の本来の幅がよくわからなくなるのだ。電車は谷底を通っているため、ここから歩けば正しい幅を実感することができるだろう。よって予定通り西側に下山できた際も、バスは使わず中央線の駅まで歩くことにする。想像しただけで既に面倒だが、電車のみを使った山行のルートはクラシカルで美しいラインとなる予感がする。

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松原湖無人

松原湖駅から車道を1時間程度歩くと、林道の入口に到着した。ここからは除雪されていないが、まだ踏み抜くような積雪はない。林道は最近伐採作業が行われているようで、重機の動いた跡が無数にみられた。しかし、次第に標高が上がり雪が深くなり、重機の跡もなくなっていく。気づくと脛くらいまでの壺足となっていた。この日の目的地は本沢温泉である。本沢温泉までのルートはすべて舗装路か林道だ。初日は疲れを溜めないようにさっさと小屋に着こうくらいに考えていた。舐めていた。壺足はじわじわと体力を削っていき、コースタイム通りにも進めない。なんとか林道を2時間ほど歩くと、本沢温泉登山口に着きトレースがあった。ここからは小屋までのトレースがあるもんだと期待したが、30分ほどでトレースはなくなってしまい、再び壺足が始まった。ワカンを装着するが、それでも沈んでいく。新雪相手にはワカンは無力である。そのころにはもう膝下あたりまで沈むようになり、体力が限界に近い。そこでとどめを刺すかのように崩落地を迂回する急斜面が現れ力尽きたその時、トレースがあった。みどり池方面からの合流だ。助かった。

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トレースなしの林道を進む

結局、本沢温泉小屋に到着したのは予定より2時間程度遅れ16時だった。日の入りが迫っていたため、急いで野天風呂に向かう。極寒の冬山で入る風呂はとても気持ち良かったが、寒すぎて出るに出られず、強い温泉成分に肌がやられて家に帰ってからも1週間くらい皮膚が痛かった。まだ八ヶ岳横断は半分も歩いていないことに怯えつつ、電気アンカで暖かい布団で眠りについた。

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1日目①

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1日目②

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1日目③

2日目

足が重い。本日は峠を越えなければならないが、いける自信がまったくない。今回は古道を辿っているわけではないので、あわよくば横岳や赤岳もいきたいと思っている。硫黄岳に着いたときのテンションだと冷静な判断ができる気がしないので、朝の低いテンションのうちに時間設定を決めた。硫黄岳到着時点でこの時間を超えていたら硫黄岳から直接赤岳鉱泉に向かうことにする。

本沢温泉小屋から八ヶ岳の主尾根までは2本の道がある。しかし冬季は北側の白砂山道が通行止めになるため、南側の夏沢峠への道を使うことになる。道が一択のため踏跡があるかと思っていたが、ノートレースの道が始まり、いきなり膝までのラッセルとなった。期待をことごとく裏切られる。他人が作ったトレースを頼りにするのは卑怯だという山からのメッセージか。

斜面が急になるにつれて積雪はやや減り、あまり沈まなくなった。尾根の手前では腿までのラッセルが一部あったものの、コースタイム通りに尾根に到着した。ここまで来ると人がいっぱいいる。やはり西から登ってくる人のほうが多いらしい。夏沢峠をスルーして硫黄岳に向かう。30分ほどして森林限界を超えたあたりから風が強くなってきた。時折歩みを止めなければいけないほどの風が吹く。最大風速だと30m/sくらいだろうか。天気は霧と晴れを繰り返し決して悪いわけではないが、風でどんどん消耗していく。硫黄岳山頂についたときにはフラフラになっていた。これだけ風が強いと補給もままならない。友人は依然として化学物質に頼りきったエネルギー補給をしていたが、見習ったほうがよかったと反省した。ゼリー飲料等は胃腸に負担をかけずにエネルギーを摂取できるので、歩みを止めにくい雪山でもエネルギー切れになりにくいからだ。ゴアテックス等の現代装備を使っている時点でゼリー飲料を拒否する理由はない。次回から導入を検討することにする。

 

 

硫黄岳山頂に到着した時刻は、ちょうど朝に設定したリミットの時間だった。しかし風が強すぎて横岳や赤岳の岩場を安全に通過する自信がない。友人と特に意見が割れることもなく、満場一致で赤岳鉱泉に下山することにした。厳冬期の横岳赤岳は、今後の課題として残しておこう。

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強風の稜線

赤岩の頭から樹林帯に入ると、さっきまでの風が嘘のように穏やかになった。あっという間に赤岳鉱泉に降りると、アイスクライミングをしにきた登山客でごった返しており、さながら観光地である。風で死にそうになっていた1時間前までの自分の記憶が信用できないくらいの別世界だが、強風にさらされ続けたせいか顔が若干ひりひりと痛いのでたぶん現実である。山は普段の生活とあまりにも別世界なので、家に帰ってから自分の記憶が現実なのかイマイチ信じられないことがある。そんなときに筋肉痛などの痛みがあると、自分の記憶を信じられるので、筋肉痛になる程度にそこそこキツい山に行くようにしている。なに言ってるんだこいつはと思うかもしれないが、ジムに通う世の人々たちも筋肉痛で自らの頑張りを再確認する傾向がある(筆者調べ)ので、そのようなものだと思ってほしい。ただこの発想には少々問題がある。筋肉痛を繰り返すと当然のことながら肉体が強化されてしまうため、同じような運動強度の山に行っても筋肉痛が起こらなくなる。よって山の距離や難易度を上げ続けるしかなくなる。山は麻薬である。

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赤岩の頭

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赤岳鉱泉

赤岳鉱泉からはなだらかな道が続きほぼ消化試合だ。1時間ほどで美濃戸山荘につき、そこからは車も走っている。ただし我々の旅はまだまだ終わらない。今回は電車しか使わないと決めてしまったばっかりに、あと14kmもの道のりが待っている。こんな馬鹿なことを考えたのはどこのどいつだと、過去の自分を罵りつつ歩みを進める。車で来ている人から乗せてくれると言われたらどうしようかと友人と本気で議論していたが、小汚い男2人組を声をかけてまで乗せてくれる人が現れる訳はなく、まったくの杞憂であった。

だらだらと車道を歩きながら今回の山行を振り返ると、急な斜面は本沢温泉〜赤岳鉱泉間のみで、あとは緩やかな斜面だったことに気づく。八ヶ岳は赤岳や硫黄岳等の急峻な岩場が取り沙汰されることが多いが、緩やかな山裾が大部分を占めているのだ。そのため八ヶ岳では車道を標高の高いところまで延ばすことができる。八ヶ岳はアクセス良好で、多くの山が日帰り可能なのはそのためだ。

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車道から八ヶ岳を振り返る

ではなぜ広大な山裾が広がっているのだろうか。本沢温泉や硫黄岳の爆裂火口から分かるように、南八ヶ岳は現在も活動的な火山だ。南八ヶ岳周辺は噴火に伴う溶岩やその堆積物でできている。下の地質図の茶色の箇所は溶岩、白っぽい箇所は噴火に伴う噴出物が崩れたり流れたりして再堆積したものだ。基本的に溶岩は硬いため、溶岩が分布する箇所では等高線が密になり、急峻な地形となっている。一方で再堆積した火山噴出物が分布する箇所では、緩やかな斜面となっている。この再堆積した火山噴出物は柔らかいため浸食されやすく、地形としての寿命は非常に短い。ただし南八ヶ岳の噴火は起きたばかりのため、まだ浸食されずに残っており、それが広大な山裾を形成しているのだ。ちなみに八ヶ岳の山裾には至るところに溜池があるのだが、これは再堆積した火山噴出物の水捌けがよく、安定した水の確保が困難だからだ。

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茶色は溶岩、白っぽいところは再体積した火山噴出物

そんなことを考えながら歩いていたが、歩いても歩いても駅に到着しない。ひたすらなだらかな下り坂で、無限ループに入り込んでしまった気分だ。途中コンビニまで車で3分の標識があったが、歩いて1時間ちょっとかかったので、おそらく時空が歪んでいた。ちなみに標識からコンビニまでの距離は5.4kmだったので、車は信号に引っかからなかったとしても時速108kmを出さなければならない。富士見町のあたりは時空または車の速度が一般的な日本の常識と異なっていると考えられる。どちらにせよ恐ろしい街である。

やっと富士見駅にたどり着いたときには、美濃戸山荘から3時間もたっていた。もう十分すぎるほど八ヶ岳のスケール感を理解できたので目的は達成だ。最後の1kmは1時間に1本の電車に間に合わせるために走る羽目になり、それによって足にしっかり豆ができてしまった。この痛みにより、私は厳冬期に八ヶ岳を横断した記憶が現実のものだと、家に帰ってからも信じることができたのである。

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2日目①

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2日目②

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2日目③

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2日目④

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2日目⑤

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2日目⑥

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2日目⑦