ジャンダルムで揺れた鎖の音

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山と地質と街道とフィルムカメラのブログ 月1回更新

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吹雪の和田峠越え【徒歩中山道②】

①はこちら

gendarmes.hatenablog.com

3日目

安中以降の中山道は山間部に入っていく。妙義山のでこぼこした特徴的なフォルムを横目に進んでいくと、碓氷の関所に到着した。ここからは山道に入り碓氷峠を越えることになる。完全な山道区間は約8kmと、山登りとしてはそんなに厳しいものではないが、既に130kmほど歩いている身体には少々きつい。さらに山道直前の坂本宿にはコンビニや商店がいっさいなく、水300mL、食料はおにぎり2個のみで挑むことになってしまった。

松井田から望む妙義山

現代における旧道の峠越えは、中山道が稼働していた当時と比較し、条件が明らかに厳しい。なぜならお茶屋さん等の休憩所がまったく機能していないからである。今の山道にはお茶屋さんの基礎だけは残っているものの、あたりまえだが自販機すらもない。そのため、私のように乏しい食糧で挑んでしまうと詰む場合がある。今回私は2時間半かけて登ったが、最初の1時間で食料が尽きてしまった。十分な食糧を準備して挑むことをおすすめする。水は途中で水場がありなんとかなったものの、空腹はなんともならず耐えるのみであった。この点だけ見ればおそらく私は昔の人たちよりもつらい目にあっている。お前が勝手にやってるだけだろという言葉が聞こえてくるような気もするが。

石垣だけ残る

登山道には安政遠足(あんせいとおあし)という看板が頻繁に立っていた。調べたところ、遠足(とおあし)とは、文武の奨励と相まって、藩士の心身鍛錬のため長い距離を走らせたこと。安政遠足とは、1855年に行われた徒歩競争のことで、日本のマラソンの発祥らしい。スタートとゴールの標高差は1000メートル以上あるようだ。日本におけるマラソンの正しい姿はトレランということが判明した。平地を走るなんて邪道なのだ。ちなみに私は山で小走りすることもゼロではないため、遠足を行っているとも言える。文字にして「遠足行ってくる」と言えば、「山に登ってくる」よりもだいぶイメージがやわらぐかもしれない。

安政遠足の看板

碓氷峠は片峠だ。登り切ったあとはほとんど下らず街に出た。2時間半も山道を登ったあとに現れる軽井沢の街は異世界感が強い。きれいなパン屋で久方ぶりの食事をとり、軽井沢の街を抜けていく。ここからはしばらく難所がない。御代田まで国道沿いに進んだあと国道を外れ、佐久へ向けてゆるやかに下っていく。

佐久平駅についたのは20:30だった。登山や旅行などでなんどか来たことのある駅である。駅前のホテルでそのときの思い出に沈みつつ、3日目を終えた。

 

―3日目歩行距離:約49km―

 

4日目

今回とっていた休みは4日間である。よって本日中に家のある東京まで戻らなくてはならない。東京への戻りやすさも考慮し、今回の旅のゴールは下諏訪とした。このように旅の最終日は終電や翌日の仕事などの雑念がつきまとう。感覚的には、このような雑念は脳のメモリを常に20%くらい奪ってくる。旅の最終日は思考に向いていない。

さて、下諏訪まで行くとなると、本日中に中山道最大の難所の和田峠を越えなくてはならない。峠の標高は1531mで東海道の箱根峠846mよりもはるかに高い。また、宿場町間の距離が23キロと非常に長い。さらにこの日は2023年1月24日だったのだが、夕方から大寒波が襲来する予報となっていた。この標高で寒波がきた条件だと、雨ではなく雪になること必至だ。まあ夕方からなら大丈夫だろう。なお、朝に宿を出る時点での和田峠ライブカメラでは、車道に雪はないようだった。今のところ歩くのに支障はなさそうである。

異様に等高線の詰まった強い冬型の領域が近づいてきている

https://www.data.jma.go.jp/fcd/yoho/wxchart/quickdaily.html?show=20230124

和田峠のスタート地点である和田宿までは、いくつか低い峠があるものの、基本的におだやかな道が続いた。順調に和田宿手前の長久保宿まで到着し、碓氷峠の反省を活かして最後のコンビニで食糧と水をたくさん買い込む。ここからは本格的な山道に突入するため、補給は見込めないためだ。この時点で時間は12時半ごろである。

笠取峠手前のおだやかな並木道

和田宿を過ぎた14時ごろに雪が舞い始めた。想定よりやや早い。まあまだ舞っているだけで、積もるほどではない。14時半ごろには旧中山道と現在の国道との分岐に到着した。ここからは舗装されておらず、完全な山道となる。ところが雪はしっかりと降り始めており、地面がうっすらと白くなってきた。山道に入ったらもう峠を越えるしかなくなるが、ここまできたらもう行くしかない。

現道と旧道の分岐地点近く、雪が舞い始めた

山道に入って15分ほどで、もう大雪としか言えない天気になった。あっというまにあたりは真っ白になり、雪山と化していく。ちなみにこちらの足元の装備は水のしみ込むローカットのトレランシューズである。アイゼンはない。なんとか峠についたときには吹雪になっていた。水を飲もうとするが出てこない。凍っている。道路の電光掲示板によると-8℃らしい。そりゃ凍る。私は2日連続で水分の運搬に失敗したクソバカ野郎であることが判明した。雪山でアイゼンもなく水もない。どうやら遭難しかかっている。

いつも間にかただの雪山に

とはいえ歩かないと本当に死ぬので歩くしかない。死の危機により例によってアドレナリンが出てきたようで、疲れや痛みを感じなくなってきた。最終日だし、現時点で文字通り死にそうなので、セーブせずにそのままいくことにする。

吹雪の和田峠

1時間ほど歩くと現道に合流した。現道は車が走っているので、とりあえず死ぬことは回避できたようだ。アドレナリンでよく分からないが、まだ体力も残っている気がするので、もう少しがんばることにする。ただし、急な雪は車にも多大なる影響を与えていた。立ち往生である。現道に合流して15分ほどのあいだに、ノーマルタイヤのトラックが2台立ち往生しており、警察のお世話になっていた。一方でアイゼンなし・トレランシューズの私もノーマルタイヤのようなものである。立ち往生する前に街におりたい。

アドレナリンに任せて、もはや小走りで2時間ほどくだると、徐々に街になってきた。さらに街を歩くこと30分程度、ついに見覚えのある景色が見えた。3年前に歩いた甲州街道のゴール地点である。甲州街道を歩いたときは3月末だったため、前回の記憶よりだいぶ寒い。

甲州街道との合流地点

中山道は半分以上残っているが、休みが終わるため今回の旅はここまでとした。まだアドレナリンが効いており、効果が持続しているうちに駅まで急いで歩く。今回の旅では、アドレナリン持続時間の最高記録更新に成功したようだ。和田峠の山道に入ってから諏訪で電車に乗るまで保たれていたため、実に4時間半である。今までの自覚のある範囲では、最高でも2時間程度だった。条件的に厳しいかったのも理由のひとつだろうが、山でもっとひどい目にあったこともあるため、理由はなんとも言えない。繰り返しひどい目にあうことにより、アドレナリンの持続時間も鍛えることができる可能性が示唆される。

ただし、アドレナリンの反動はやはり大きく、持続時間が長かったぶん反動も大きかった。エネルギーが枯渇してしまったようで、最寄駅から自宅までの10分の道のりで震えが止まらなくなった。電車に揺られうとうとしているあいだにアドレナリンが切れたようだ。足も痛いし重いし、いつもは10分で終わる道のりを20分ほどかけて家に到着した。この旅でもっともつらい場所は、碓氷峠でも和田峠でもなく帰り道であった。家に帰るまでが遠足である。

 

―4日目歩行距離:約55km―

総歩行距離:約230km

所要時間:84時間=3日12時間(睡眠・休憩含む)