街の地名は変化していく。人が住むと新たな呼び方が定着し、古い呼び方は忘れ去られていく。一方で人が住まない場所は名前が変わりにくい。新たな呼び方が定着することがないからだ。そのため山には古い地名が往々にして残っている。
地名はその場所の地形的・地質的特徴や使われ方などを表す。それは自然科学・人文学を統合したその場所の特徴そのものである。地形図に載らないようなスケールの特徴であることも多く、ルート選定時や水を探すときなど、実用的に役立つこともある。なにより山で情報量が増えるので楽しいではないか。
今回はそのような地名のなかでも、山で特によくみるものを集めた。だいたいの引用元は1976年に書かれた「日本山河誌」という本だ。あまり有名な本ではないが、文化的観点からの登山について様々な話がよくまとめられ、日本における登山への理解が深まる本である。この記事はこの本が面白かったことによる忘備録的な記事でもある。解説が不足している箇所は「民俗地名語彙事典」を用いて補足した。こちらは山の地名に限らず日本の地名を網羅的に扱った事典である。私の書いた内容はほんの上澄みでしかないことは心に留めておいてほしい。興味がある人は原著をあたることをお勧めする。
※地名の漢字はたいてい変化するため、読み方はカタカナで示した。
※()は漢字の一例である。他の使用例もある。
※〔〕は実際に使われている地名の一例である。他の使用例もある。
※地名の由来を完全に確定することは難しく諸説ある。
アシ、ワル、ビンボウ(芦、葦、悪、貧乏)
〔悪沢、葦窪〕
日影の荒れた沢。
アテラ(安寺、阿寺)
〔安寺沢、阿寺川〕
日影。日当たりの悪い北向き斜面。左(陰=左)。
アブキ(阿部木)
〔木曽殿アブキ、阿部木谷〕
岩小屋。
イケ、イド(池、井戸)
〔池ノ谷、井戸沢〕
水の豊富なところ。現在の意味の池や井戸とは必ずしも一致しない。水の豊富なところは猟師が獲物を処理するのに使うこと多かったことから、そちらの意味で使われることもある。
イリ(入)
〔入山、高瀬入〕
谷の上流。山の奥。
ウツリ(移り)
〔六人移り〕
徒渉点。
オチアイ(落合)
〔落合〕
川の合流点。
カマ、ガマ(釜、鎌)
〔三ツ釜滝、七ツ釜、御釜〕
淵。釜のように深くなっている地形。滝壺。甌穴。
カワイ(河合、川合、川井、川会)
〔河合、川合、川井、川会〕
川の合流点。
クラ、グラ(倉、蔵、峅、座、嵓)
〔一ノ倉沢、俎嵓、芦峅寺〕
岩、岩場、断崖。
クリ、グリ(栗、久里、具利、繰)
〔栗沢山、久里浜〕
岩。礫。礫が目立つ地域や岩場で使われる。
ケカチ、ガキ(毛勝、餓鬼)
〔毛勝岳、餓鬼岳〕
飢渇。この名前がついている場所は空腹感により手足が動かなくなるという伝説が多い。現代的にいうとシャリバテやハンガーノックのことか。たしかに斜面が急な山が目立つ。一方でガキはガケがなまったという説もある。
コウチ、コーチ、ゴーチ、カワチ、ガワチ(河内、川内、高地)
〔上高地、内河内、小河内〕
谷の上流。山間の小さな盆地や谷の奥の平地。
ゴウド(神戸、川渡、強土)
〔御射山神戸、川渡〕
徒渉点。洗い場。
ゴウロ、ゴロー、ガンガ、ガーラ、ゴーラ、ゴウラ(五郎、郷路、高路、強羅)
〔黒部五郎岳、強羅〕
岩がごろごろしたところ。
コマ(駒)
〔駒ヶ岳〕
子馬のこと。全国にある駒ヶ岳には馬の雪形(ゆきがた;山肌の残雪やそこから覗く岩肌などの形を、人物や動物などの形に例え名前が付けられたもの)の伝説がついて回るが、由来がはっきりしないものも多い。
スゴ、スガ、ソガ、スケ(菅、双、曽我、助)
〔スゴ乗越、内蔵ノ助谷、双六岳〕
砂地、砂礫地。
セリ(芹)
〔芹沢〕
谷の最上流。
セン(仙、千)
〔仙ノ倉山、千ヶ滝、仙娥滝〕
滝。落とし口から飛下する滝。
ソウ、ゾウ(谷、宗、増、層)
〔一ノ宗、鍋増〕
越後で谷(タニ)を指す言葉。
ソリ、ゾリ、ソウレ、ソウリ(橇、草履、双里、反、草里)
〔大草履沢、寒橇沢、柿草里〕
焼畑。崖や急斜面を表す地形に由来するといわれる。日本の焼畑はこのような地形を利用した方法だったためである。
ダシ(出)
〔大出、押出〕
崩壊地。土砂が谷に押し出されたところ。
タツマ(田妻)
〔田妻沢〕
猟師が寝泊まりしたところ。獲物を待ち伏せしたところ。
タナ、ダナ(棚)
〔石棚山、大棚〕
山腹。絶壁。谷底の上方の緩い部分。滝。丹那、丹縄、田名などに変化している場合も。
タル、タレ(垂、樽)
〔垂水、大樽〕
滝。
タルミ(弛、垂水)
〔大弛峠〕
峠。滝を表すタルミと同じ漢字が使われることもあり混同されるが由来は異なる。
タン、ダン(谷、段)
〔長次郎谷、平蔵谷〕
越中や能登で谷(タニ)を指す言葉。漢字は同様に「谷」を用いる。北アルプスでよくみられる。「段」という漢字に置き換わってしまっていることもある。
ツエ(杖)
〔杖突峠〕
山崩れ、崖。
ツキ(月)
〔早月、大月〕
崖。
ツマ、ツメ(妻、妻、詰、爪)
〔妻籠、嬬恋〕
谷の最上流。
デアイ(出会、出合)
〔出会、出合〕
川の合流点。道の分かれ目。
ド、ドウ(渡、土、堂)
〔渡場、沢渡、餓鬼ヶ堂〕
川の合流点。
ドアイ(渡合、土合)
〔渡合、土合〕
川の合流点。河岸が迫って絶壁をなすところ。
トオラズ、カエラズ(不通、不帰)
〔不通、不帰ノ嶮〕
険悪な谷。
ナギ(薙、崩)
〔赤崩、畑薙〕
崩壊地。
ヌケ(抜)
〔蛇抜沢、抜戸岳、抜沢〕
崩壊地。
ノマ、ナデ
〔大ノマ乗越、ナデッ窪〕
雪崩。
ヒウラ、ヒナタ、ヒオモ(日向、日裏、日浦)
〔日向沢、日向休〕
日向。日当たりの良い南向き斜面。右(陽=右)。
ホラ(洞)
〔大洞川〕
谷。水の出ない谷。「村」の意味に転用され部落を指すこともある。
マカワ、マサワ(真川、真沢)
〔真川、真沢〕
本流。
マタ(又、股)
〔二股、両股〕
川の合流点。
ミザ(見座、御射)
〔見座山、御射山神戸〕
河岸段丘。
ミズヒ(水干)
〔水干、ミズヒ大滝〕
川の最上流。干上がったところ。
ヤバ(矢場)
〔矢場ノ沢、本矢場城〕
猟師が寝泊まりしたところ。獲物を待ち伏せしたところ。
ロウカ(廊下)
〔上ノ廊下、下ノ廊下〕
二つの岸壁が平行して連なったところ。
ひとまず以上である。
事例が集まったらまたやろうと思う。
参考文献
高須茂, 1976, 日本山河誌. 角川書店.
松永美吉・日本地名研究所編, 2021, 民族地名語彙辞典. ちくま学芸文庫.