ジャンダルムで揺れた鎖の音

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山と地質と街道とフィルムカメラのブログ 月1回更新

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アイラウイスキーが臭いのは水がまずいから

文化は地域性と密接な関連をもつ。特に食べ物や酒、工芸品などの"もの"は、その土地で手に入る材料で作らざるを得なかったため、地域の差が非常に出やすい。手に入る範囲の材料で、一番長持ちするものや、おいしいもの、経済的なものを追求した結果、言わばガラパゴス化が進み独自の進化をたどる。手に入る範囲ということは、その土地に生えている植物や、分布している岩石、それらに由来したなにかを使うことになり、自然の影響が見えやすい。物流の発達した現代では、このようなガラパゴス化は完全に壊れており、自然の影響は見えなくなってしまった。なんでも手に入る豊かな生活になった反面、地域的な独自性は失われていっている。一方で、車や飛行機といった物流速度となってからまだ1世紀程度しか経っていないため、文化が残っている状態ながらも世界のものが手に入る、恵まれた時代ともいえる。

様々な文化のなかでも、酒やコーヒーなどの嗜好品は特に多種多様で、地域性が出やすい。今回の記事ではアイラウイスキーについて考察する。

 

 

アイラウイスキーとはスコットランドアイラ島で作られているウイスキーだ。大麦を原料に作られるモルトウイスキーで、ピートを燃やして大麦を乾燥させるため、強いにおいが特徴だ。においは煙臭さだけではなく、正露丸っぽいとも言われる薬品臭さもあるのだが、これはピート中の海藻に含まれているヨードが原因だ。ほかのウイスキーとの違いはとにかくこのピート臭で、このにおいにハマる人が続出する。かくいう私もその一人で、家にはアイラウイスキーを常備している。どうして木などを使わずに、こんなにも匂いの強いものを燃やすのだろうか。

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尾瀬ヶ原、泥炭が形成される湿地

ピートは日本語で泥炭と言う。気温の低い湿地帯ではバクテリア類の活動が弱く、枯れた植物の分解が遅い。枯れた植物の堆積速度が分解速度を上回ると、無酸素状態で植物中の炭素が閉じ込められ熟成が進み、泥炭が形成される。日本は暖かいため、泥炭が形成される環境はあまりないが、石狩平野尾瀬などの寒冷な湿地では、今も泥炭が形成されている。石狩平野尾瀬に行ったことのある人は分かると思うが、泥炭ができるような環境には木が少ない。アイラ島も緯度が高く寒冷なため、一番手に入りやすい(≒安い)燃料がピートだったと推定される。木材以外をメインの燃料に使うのは、木があまり生えていない寒冷地でよく見られる現象だ。例えばネパールの森林限界を超えた高さにある村では、ヤクという動物の糞が主要な燃料となっている。世界のどこかには糞で匂いをつけるお酒があるかもしれない。

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ヤクの糞、乾かして燃料に

泥炭が形成される土地では水にも特徴がある。簡単に言うと、水があんまりおいしくないのだ。枯れた草や泥を漬け込んだ水とでも言えばいいのだろうか。見た目はかなり黒っぽくインパクトがある。においは見た目ほどきつくはなく、まろやなか味とか表現されることもあるが、やはり独特の風味があり、香りが命のウイスキーに与える影響は大きいだろう。そんな水でウイスキーを作るにはにはどうすればいいかというと、より強い匂いで上書きしてしまえばいい。ピート臭はあまりに強く、多少水が臭かったところで全くわからないだろう。標高の高いところで紅茶が飲まれがちなのも、匂いの上書きが目的だ。標高の高い寒冷地では、人や家畜から排出されるアンモニアを分解するバクテリアの活動が弱く、水がまずいことが多い。一方で日本はどこでも無臭のおいしい水が手に入る恵まれた環境だったため、水の味がモロに影響する緑茶が主流となった(水が軟水だったというのもある)。日本人は発酵が大好きだが、お茶だけは発酵させないし、お茶に砂糖を入れて味をつける習慣もないのは、全て水がおいしいからだ。

モール温泉の色

http://www.tokachigawa.net/about/

帯広や十勝川のモール温泉は、泥炭の成分が溶け込んでおり、アイラの水はこのイメージに近い

 

そんな日本で生まれるウイスキーはと言うと、とにかく多種多様だ。なぜなら日本のウイスキーの歴史は浅く、既に物流速度が上がっていた状態で進化していったため、原材料の縛りが一切なかったからだ。そのため、日本のウイスキーはレギュレーション(規制)が他の国に比べて遥かに少なく、自由度が高い。その結果、単純に味を追求できるようになり、日本のウイスキーは世界で評価され表彰を受けているものが多くなった。ただし、そこに文化の蓄積は少ない。日本のウイスキーと他の国のウイスキーを味のみで比べるのは、機械式時計とアップルウォッチを比べて「アップルのが便利じゃん」と言っているようなズレを感じる。まあおいしかったり便利だったりするのに越したことはないが。日本のウイスキーもアップルもものすごい企業努力をしていることは間違いないし。日本のウイスキーも最近のブームが来るまでは、ビール等のほかの酒に駆逐される側だったので、復活のモデルケースとして捉えたほうがいいかもしれない。

話をアイラウイスキーに戻そう。アイラウイスキーの工場はアイラ島のなかでも様々な場所にあり、その場所によって味の傾向が出ることが知られている。例えば、南部の工場はピート臭が強く、北部の工場はあまり臭いが強くないといったように。水やピートなどの質の違いによる、細かな地域性が出ていると考えられるが、現地をみないことにはなんとも言えない。そのうち現地に行って状況を確かめてみたいと思う。その地域で作られた酒はその地域で飲むのが一番おいしいだろうし。