ジャンダルムで揺れた鎖の音

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山と地質と街道とフィルムカメラのブログ 月1回更新

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オイルドジャケットは日本に向いていない

服装は人間の文化のなかで最も気候に支配されている。熱帯でコートを着る人はいないし、寒帯ではタンクトップ一枚で過ごせない。地域に根付いた服装は、その地域の気候で最も過ごしやすい服装である。今回は気候的観点からオイルドジャケットについて考察する。

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バブアーのスペイ、元々はフライフィッシング

オイルドジャケットとは、綿に油を染み込ませることにより、撥水性や防風性を高めたジャケットである。日本ではバブアーがとにかく有名だ。バブアーのホームページを見てみると、以下のような記述がある。

英国のアウトドア・ライフスタイルを体現するブランドであるバブアーは、1894年、ジョン・バブアーによりイングランド北東部のサウスシールズで創業。
北海の不順な天候の元で働く水夫や漁師、港湾労働者のために、ワックスドクロスを提供したのが始まりでした。

https://www.japan.barbour.com/barbour_history

野外で働くための服であったようだ。アウトドアで使うものに油をしみ込ませるのは、ゴアテックスが開発される前は一般的なものであった。雨を防ぐものがない屋外において、水をはじく油を用いた衣服を身に着けるのはごく自然な発想である。日本でも、1900年代初頭には、ワックスドコットンや油紙を用いた雨具やテントが使わていた記録が多数残っている。

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今でも革でできた重登山靴は油で手入れをする

しかし、ワックスドコットンや油紙は1900年代に少しづつアウトドア業界から姿を消した。化学繊維の登場である。化学繊維は天然繊維よりも撥水性が高く、水のしみ込みにより重くなりにくいため、アウトドア業界にいち早く取り入れられた。そして1970年代に決定的な発明が世に出た。ゴアテックスである。水を通さないが水蒸気は通すことのできるこの素材(膜)は、アウトドア業界に革命を起こした。ゴアテックスの登場により登山中、悪天候時になった際の死傷率は大幅に下がったと言われている。その結果、ワックスドコットンや油紙は完全に駆逐された。日本におけるワックスドコットンや油紙の衣服としての需要はアウトドア業界に限られており、日常着として残ることもなかった。ワックスドコットンや油紙は、日常着として扱うには取り回しが面倒すぎたからだ。油を使っているのでベトベトするのはもちろんのこと、においがある上に通常の洗濯もできないし、放っておくとカビが生える。

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防水透湿素材を使用したハードシェル、雨を通さず汗を逃がし軽い

ところが、一部の地域では日常着としてオイルドジャケットが愛され続けている。代表的なのはイギリスだ。現在もオイルドジャケットを製造しているバブアーやベルスタッフは、どちらもイギリスのメーカーである。イギリスではスーツやジャケットの上にオイルドジャケットを羽織るスタイルが確立されており、チャールズ皇太子や故ダイアナ妃も愛用していたほど、イギリス国民に浸透している。なぜイギリスではオイルドジャケットが愛され続けているのだろうか。取り回しの面倒さを上回るメリットはなんだったのか。

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著名人たちが着用、左が故ダイアナ妃

https://www.japan.barbour.com/contents/special/20180914

ここでイギリスの気候の特徴をみてみよう。イギリスは西岸海洋性気候に属し、緯度が高い(北海道よりもさらに北にある)割に比較的温暖な気候が特徴だ。これは北大西洋海流という暖流の影響によるもので、温かい海に温められた温かい風が常に吹き付けることで、この気温が保たれている。ただし、この風がもたらすのは温かい気温だけではない。温かい海は空気中に大量の水蒸気を供給するため、必然的に雨が多くなる。これは日本における冬の日本海側と同じような状況で、低気圧が来ていなくても温かい海流がある側から風が吹くだけで天気が悪くなる。日本海側では冬だけだが、イギリスではそれが1年中続くのだ。1日の中で雨が降ったり止んだりを繰り返し、少し風向きが変わるだけで天気が変わるので天気予報が当てにならない。

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ロンドンの雨温図

http://chiri-tabi.com/category14/entry158.html

この気候こそ、イギリスでオイルドジャケットが愛され続ける理由と考えられる。オイルドジャケットならば、毎日傘を持ち歩かなくても多少の雨ならば対応できるからだ。オイルドジャケットは縫い目からの水の浸透には対応できず大雨には向いていないが、イギリスの雨は回数こそ多いものの、たいてい小雨程度で大雨にはならない。そして年間を通して気温が低いため、オイルドジャケットをほぼ1年中着ることができる。日本の場合は気温の問題で、夏はオイルドジャケットを着ることができない。日本の夏は高温多湿のためタンスでしまっている間にカビが発生しやすいが、1年中着られるイギリスならば、カビの心配もあまりないだろう。スーツスタイルが浸透している文化的側面もありそうだ。小雨からスーツを守る必要が出てくる。

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国の一部が西岸海洋性気候に属するアイスランド

雨が降ったり止んだりだが必然的に虹も多くなる

オイルドジャケット生き残りの原因を気候とするならば、他の似た気候の地域でもオイルドジャケットが生き残っている可能性がある。そこで、イギリスと同じく西岸海洋性気候の地域を調べてみる。イギリスとその周辺以外では、イギリスのように国全体が西岸海洋性気候に属する場所はほとんどなかったが、1国だけ見つかった。ニュージーランドである。バブアーに詳しい人はもうお気づきかもしれないが、バブアーにはニュージーランド産が存在する。ニュージーランド工場で作られたストックマンというモデルが有名だ。ニュージーランドがイギリス領だった歴史的事情もあるだろうが、やはり気候が似ているというのが、バブアーがニュージーランドでも展開された最も大きな理由だろう。ちなみにニュージーランドはイギリスよりも若干降水量が多く、ストックマンの特徴である肩のフラップはイギリスよりもやや強い雨を防ぐために付けられたと推定される。

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西岸海洋性気候の分布

https://juken-geography.com/systematic/cfb/

 

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ウェリントンの雨温図

http://chiri-tabi.com/category14/entry99.html

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バブアーのストックマン

3(san)洋装店の在庫を撮影させていただきました。

https://www.3-yousouten.com/

この記事を書いていて気が付いたが、オイルドジャケットは日本の気候にはあまり適していない。夏は暑くて着ることができないし、雨が強く降るためどうせ傘をささなければいけないし、高温多湿なためカビやすい。とは言ってもいい服であることには変わりないし、なにより私が着たいので、カビに気を付けてこれからも着続けようと思う。