ジャンダルムで揺れた鎖の音

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山と地質と街道とフィルムカメラのブログ 月1回更新

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南部鉄器が欧州で売れたのは硬水のおかげ

日本の伝統工芸品が海外から注目を集めている。グッチやヴィトンと言ったハイブランドとコラボしているものもあるほどだ。なかでも早くから海外に輸出され、現在も高い人気を誇る伝統工芸品が南部鉄器である。

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鉄瓶、岩手県水沢の及源鋳造で購入

南部鉄器とは、岩手県盛岡市奥州市で作られている鉄器である。銑鉄(鉄鉱石を溶かした鉄で炭素の含有量が2.1%以上のもの)を主原料とし、鉄の素材感をそのまま活かした作りとなっている。鉄瓶や急須などが有名で、南部鉄器を使ってお湯を沸かすと味がまろやかになり、お茶がおいしくなると言われている。これは決してプラシーボ的なものではない。鉄器でお湯を沸かすと、水の中に含まれるミネラルや残留塩素が鉄瓶内部に付着し、実際にお湯に含まれている成分が変わるのだ。と、一般には言われているが、実際に買ってお湯を沸かしてみたが、違いがよく分からない。私の味覚が鈍感なのか。いや、違う。そもそも日本の水にミネラルなどほとんど入っていないのではないか。

日本の水はほとんどが軟水だ。軟水とはカルシウムやマグネシウムの含有量が少ない水であり、WHOが定める基準では硬度(水1L中のカルシウムとマグネシウムの量)120mg未満の水が該当する。すなわち軟水は溶け込んでいるミネラルが少なく純粋な水に近いため、鉄瓶で沸かしても付着するミネラルは少なく、成分に大きな違いは生じない。そのため味の違いもほとんど生じないのだ(軟水でも鉄器中の鉄分は水に溶け出すため、鉄分補給としての機能は果たす)。

では硬水を鉄瓶で沸かすとどうなるのだろうか。エビアンで試してみよう。エビアンは硬度304mgの硬水だ。この水を鉄瓶に注ぎ沸騰させたあと飲んでみる。お、わかる、わかるぞ。たしかに味がまろやかになっている。鉄瓶すげえ。そして成分が変わった証拠に、鉄瓶の内側には白いものが付着していた。

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エビアンを沸かす

この白いものは湯垢と呼ばれる。名前は垢だが実態はカルシウム等の鉱物だ。湯垢はお湯の味の変化の副産物だが、鉄瓶に機能的効果をもたらす。湯垢の付着によって、鉄瓶は錆びにくくなるのだ。カルシウムが鉄のコーティングとして働くのである。これは南部鉄器の製造元も推奨している方法で、鉄瓶の使いはじめは硬水による湯垢付けが推奨されている。鉄瓶は硬水を沸かせば沸かすほど錆びにくくなり、寿命が延びていく。

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1回エビアンを沸かしただけでこうなる

ではなぜ軟水が多い日本で硬水に向いた道具があるのだろうか。答えは地質にある。日本には軟水が多いが、石灰岩が分布する地域では例外的に硬度が高い水となるのだ。岩手県の地質図をみてみよう。濃い青が石灰岩であり、硬度の高い水が形成されやすい環境となっている。よって、南部鉄器は地元の水をおいしく飲むために進化した道具であり、地元の水を沸かし続けると長持ちするよう最適化されていると推定される。水沢で南部鉄器を買いに行った際、お店のおばちゃんに20年使い続けて湯垢がびっしりとついた鉄器を見せてもらい、ずっと使っているとこうなると説明された。若干だまされたかもしれない。東京で20年使ってもああはならないだろう。東京であの状態を目指すにはエビアンが必要となるため、莫大なランニングコストが発生する。

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岩手県中部の地質図、地質図Navi(https://gbank.gsj.jp/geonavi/geonavi.php)より

南部鉄器のこれらの特性がピタリとハマるのが欧州だ。欧州は全体的に硬水の地域が多く、南部鉄器の特性を最大限に活かすことができる。実際岩手の南部鉄器の産地周辺は気候や水質が欧州に似ているようだ。南部鉄器の産地からほど近い大迫では、昼夜の温度差が大きい気候や石灰岩由来の水質がオーストリアに似ていることに注目し、日本では珍しいオーストリアワインを製造している。道の駅のおじさんに聞いたところによると、当時の県知事が大迫の気候や水質がオーストリアに似ていることに気づき、ワイン作りを始めたらしい。理学的観点から産業を作り出した素晴らしい働きである。有能すぎてこわいよ県知事。

 

 

 現在、南部鉄器は欧州を中心に世界各国で爆発的な人気となっている。人気の理由はデザインが第一に語られることが多い。もちろんデザインが欧州の感性にマッチしたことは間違いないのだけど、その背景として南部鉄器の機能と硬水という観点も無視できないのではないだろうか。私の家の蛇口からは残念ながら軟水しか出ないので、南部鉄器によりわずかに添加される鉄分の味を見極めようと、今日も奮闘中である。