ジャンダルムで揺れた鎖の音

ジャンダルムで揺れた鎖の音

山と地質と街道とフィルムカメラのブログ 月1回更新

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山は逃げる

コロナの自粛要請に伴い、登山界にも自粛の波が及んでいる。山岳4団体は「コロナウイルス収束までの登山自粛」を呼びかけ、富士山は今シーズンの閉鎖が決まった。今、世の登山者は、登山と言えど人間社会の延長でしかないことを思い知らされているだろう。山に行って人間社会というシステムから抜け出したつもりになっていたけど、まったくそんなことはなく、影響受けまくりだ。山岳4団体が共同声明のなかで上げている理由は主に2点だ。

  • 山小屋の従業員を感染から守り、宿泊登山者の3密による相互感染を防ぐ
  • 出先の方々への感染を広め、山岳スポーツ愛好者自身が感染するリスクを高める

また、共同声明発表前に日本山岳会がもう1点理由を挙げている。

  • ライミング山スキー等で遭難事故を起こしてしまった場合、医療システムへの負荷を高めてしまう

どれも文句のつけようがないまっとうな意見だ。単独で家から車で行って、現地の施設に寄らなければいいじゃないかという意見もちらほら聞こえてくるが、遭難を起こした場合のリスクをゼロにすることはできない。救助を行ってくれた人への接触と医療システムへの負荷は避けようがないのだ。現状、登山者は救助を拒否する権利がない。登山届等に救助の拒否を書いたとしてもそれが知られるのは救助されたあとだろう。そもそも救助の拒否を記入したところでそれが効力を発揮することはないと思われる。常にザックの後ろに救助拒否を掲げておけば救助者には伝わるかもしれないが、政治運動にしか見えないのでそんなザックは背負いたくない。救助されるときに意識があれば見殺しにしてくれと頼むこともできるかもしれないが、見捨てた遭難者が死んだらどう考えても救助者のトラウマになるので、やめておいたほうがいい。救助が拒否できない時点で人間社会のシステムの内であり、人間社会の方針には従う義務が発生する。

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救助ヘリのなかでの接触は避けられない

ということで登山自粛方針には素直に従っていたのだが、報道の中でひとつ引っかかる表現が多用されていた。「山は逃げません」という表現だ。まあ報道に限らず、もともとは山で撤退するときなんかに使われがちな表現なのだが、私はこの表現が好きではない。ほぼ私の言いがかりのようなものなので、報道を批判したいわけではない。なんで嫌いかというと、山に登っている実感としては、山ってめちゃくちゃ逃げるからだ。

 

機会が逃げる

山は予定を立てたところでいけなくなることが多い。理由はいろいろあるが一番多いのが天気だ。悪天候はどうしても危険が伴うので、中止せざるを得ないことがある。特に冬山は悪天候が遭難に繋がりやすいため、私の実感では冬山の計画は半分くらい中止になっている。夏山でも、7年前から行こうとしてるのに毎年のように台風を当て、未だに行けていない山がある。大雨によるルートや林道の崩壊もよくある話だ。2019年の台風19号では関東甲信越の主要な登山道や林道が軒並み崩壊し、2020年5月現在でもまだ復旧していないところがある。登山用の地図を見れば崩壊による通行止めマークがそこらじゅうにあるし、故障を繰り返すことで有名なUSJのジェットコースターよりも、登山道の故障のほうがよっぽど多い。

あとは加齢に伴う体力低下も問題になる。登山に必要な技術と体力を足した総合力のピークは、20代後半から30代前半のあいだに訪れる人が多い。時間は平等と言えど、年齢による価値の差が存在するのは事実で、この期間を過ぎると能力の不足で二度と行けない山が発生し始める。その山に行くことが可能な機会はもうないかもしれない。このタイムリミットは他の行楽ではあまり発生しない問題で、スポーツ選手の選手生命に近いものがある。プロスポーツ選手よりはだいぶ条件が緩いが。

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林道が雪崩で埋まっていたり
人が逃げる

山の思い出は人と直結している。いっしょに行った人が違えば同じ山でも違う記憶になる。単独行だったとしても、ルートのない山にでも行かない限り、人と一度も話さないことはまずない。天候等により一度機会を逃すと、来年リベンジしようとかいいつつ、同じ人とリベンジするのは非常に難しい。仕事や家庭と、日々の生活は山にいけなくなる理由で溢れている。山という特性上、少しでも体調不良があれば参加は見送られるため、直前にキャンセルというのもよくある話だ。一度予定が流れてから疎遠になって、今は連絡をとれない人もけっこういる。いつか行けなかった山自体には行けたとしても、人が違えばそれは別の山である。このあたりの感覚は普通の旅行とあまり変わらないかと思う。

 

山が(物理的に)逃げる

山は不変のものと思われがちだが、実はけっこう変動が激しい。特に日本は火山が多く山の形がしょっちゅう変わっている。記憶に新しい御嶽山の噴火前の景色はもうないし、富士山でさえ1707年の噴火で形が変わっている。もっと規模が大きいもので言えば、磐梯山1888年の噴火で山体崩壊を起こし、峰がまるごとなくなっている。行った山が次も同じ姿であるかは分からない。変化のスピードは人間が作ったもののほうが小さいこともあり、1400年以上の不変を保っている法隆寺のほうがよっぽど逃げない。

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崩壊の跡がしっかり残る磐梯山

「山は逃げない」のルーツは?

このように一般的な行楽地よりも逃げることが多い山に、山は逃げないという表現が根付いてしまったのはなぜだろうか。誰が言い始めたかは定かでないが、武田信玄風林火山にルーツがあるんじゃないかと勝手に思っている。日本人なら誰でも知っている「不動如山(うごかざることやまのごとし)」は、山は不変で動かないものという印象を強く日本人に植え付けているからだ。さらにこの言葉のルーツをたどると、孫子の兵法からの引用らしい。そしてその本を書いたのが紀元前の春秋戦国時代に活躍した孫武という人だ。孫武が生まれたのは(実在した人かどうかは意見が割れているらしいが)紀元前500年代なので、漫画「キングダム」よりも300年ほど前の話になる。孫武が活躍していたのもキングダムの舞台も、黄海の西側の、長江や黄河中流下流域が舞台となっている。このあたりの地形を見てみると、大部分が長江や黄河の氾濫原となっていて、山が非常に少ない。山があったとしてもかなり古いため、日本に比べてなだらかで低い山が多く、火山もない。よって、「不動如山」の山と、現在の日本人が思い描いている山は、おそらくイメージがかなりずれている。現在の日本人が、丘と認識する程度の凹凸を山として表現している可能性が高い。常に変化していく日本の山を見て育っていたら、このような言葉は生まれなかったと思うのだ。

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広大な平地が広がる中国東部(GoogleMapより)

近所の丘を思い浮かべて「山は逃げない」とか言われたら、私も全面的に同意する。いつでも行けるし、崩れて行けなくなるようなこともないからだ。でも多くの登山者が思い浮かべるのは、もう少し高くて急峻な山だ。そういう山に関しては、「山は逃げる」。これは多くの登山者に共感してもらえることだと思うし、「山は逃げない」という言葉の違和感に対する理由のひとつはここにあるのではないかと思う。ほかにもいろいろと理由をつけて、山は我々から逃げ続ける。人生はままならないものだ。