私は2023年8月に日本百名山を達成した。スタンプラリー的百名山には賛否両論あることは承知しているが、やはりいい山が多く、次に登る山を選ぶ基準としてはとても有用である。ただし、この百名山は必ずしも景色がいいわけではない。なにをもっていい山としているのだろうか。
日本百名山は、深田久弥という小説家が1964年に出版した随筆集に基づいて決まっている。個人が設定しているという点で、「日本の滝百選」や「日本百景」などとは異なり、私的な選出となる。(花の百名山など、山に関する百選は私的な選出が多いという側面もあるが)。そのため、深田久弥がなにをもっていい山としたかを知れば、百名山の基準を知ることができる。
深田久弥は、日本百名山の選定基準について、1961年(昭和36年)に上高地で行われた「ウェストン祭」という開山祭の講演で、下記3点を挙げている。
1. 山の品格:人には人格があるように、山には『山格』のようなものがあるとし、誰が見ても立派な山だと感嘆する山であることを、第一の基準とした。
2. 山の歴史:昔から人間との関わりが深く、崇拝され山頂に祠が祀られている山であるというような山の歴史を尊重し、第二の基準とした。
3. 個性のある山:芸術作品と同様に、山容・現象・伝統など他には無いような顕著な個性をもっていることを、第三の基準とした。※付加的条件として標高がおおよそ1500m以上
景色が悪い百名山があるのは、そもそも上記の基準に景色という項目が入っていないためだ。例えば羅臼岳や斜里岳など、深田久弥が登ったタイミングでは天気が悪く、景色を確認していないのに日本百名山として設定されている山も無数にある(特に北海道に多い)。
話を戻そう。この3点の基準のうち、「山の歴史」と「個性のある山」という項目は、定量的な基準としてイメージしやすい。点数化しようと思えばできそうだ(深田久弥が点数化して評価したわけではないけれど)。一方で「山の品格」については、定性的で、なかなか基準をイメージできない。誰が見ても立派な山、と感覚的で曖昧な表現となってしまっている。しかし、深田久弥はこの基準を1つ目に挙げているため、最も重要視している項目と言えるだろう。すなわち、山格を理解しないことには、百名山とはなんなのかを理解することができない。
まずは、人格や品格の言葉の意味を辞書で調べてみる。
人格
1
㋐独立した個人としてのその人の人間性。その人固有の、人間としてのありかた。「相手の―を尊重する」「―を疑われるような行為」
㋑すぐれた人間性。また、人間性がすぐれていること。「能力・―ともに備わった人物」
2 心理学で、個人に独自の行動傾向をあらわす統一的全体。性格とほぼ同義だが、知能的面を含んだ広義の概念。パーソナリティー。「―形成」「二重―」
3 倫理学で、自律的行為の主体として、自由意志を持った個人。
4 法律上の行為をなす主体。権利を有し、義務を負う資格のある者。権利能力。
品格
その人やその物に感じられる気高さや上品さ。品位。「―が備わる」
この意味の「人」や「人間」を山に置き換えれば、山格の意味になるはずである。
山格
1
㋐独立した個々の山としてのその山の山岳性。その山固有の、山岳としてのありかた。「相手の―を尊重する」「―を疑われるような行為」
㋑すぐれた山岳性。また、山岳性がすぐれていること。「能力・―ともに備わった山岳」
※2以降は人文学的な意味のようなので省略
品格
その山に感じられる気高さや上品さ。品位。「―が備わる」
山岳性という新たな言葉が生み出されてしまった。人間性についても元の意味を調べてみる。
人間特有の本性。人間として生まれつきそなえている性質。人間らしさ。「―にもとる行為」「―を疑う」
↓
山岳性
山岳特有の本性。山岳として生まれつきそなえている性質。山岳らしさ。「―にもとる行為」「―を疑う」
これらの意味を考慮して「山格」をかみ砕いた表現にすると、気高く上品かつ山らしい山、といったところだろうか。深田久弥はなんらかの山のイデアを持っていたようである。深田久弥はすでに亡くなっているため、このイデアを復元する術はない。ただし、イデアへは、個別的なものから普遍的なものへ段階を追うことで到達することができる、とされている。深田久弥は100もの個別事象を手記として残してくれているので、到達の余地は十分残されているのではないか。
ということで、次回は各山の個別事象から、山格の要素を取り出す試みを行う。具体的には、深田久弥の山のイデアを取り出しやすい事象(≒日本百名山のなかで山格について言及されている山や、客観的にみて歴史や個性が不足しているにも関わらず日本百名山に含まれている山)から、山格を考察する。次回に続く。