ジャンダルムで揺れた鎖の音

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山と地質と街道とフィルムカメラのブログ 月1回更新

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無料の山岳天気予報がない理由

※この記事は2020年5月時点の情報です。

 

山の楽しさは天気次第である。景色がよく気持ちのいい森林限界を超えた尾根道も、雨が降ればなにも見えずびちょびちょになり修行と化す。私は極度の雨男だ。大学時代に所属していた登山サークルで、私が参加した山行は雨天率80%を叩き出し、皆から嫌われた過去を持つ。雨をなんとかしようと思って勉強し気象予報士になったが、気象予報士になっても天候を操る能力を得ることはできず、雨でがっかりするタイミングが山に行く前になるだけであった。ついでに同行者から雨の責任をさらに強く問われるようになった。いいことねえな。

登山に行く前には皆必ず天気を確認すると思うが、山頂の天気を直接予報した天気予報が見つからないという経験がないだろうか。「富士山 天気」とか検索しても、「この値は、気象予測の数値計算結果を表示したもので、天気予報ではありません」みたいなことが書かれ、近くの街の天気予報と、風や気温の推定値のみを知ることができるページがでてきてしまう。やっと見つけたと思ったら、有料会員限定のページばかり。自由に見れるページがひとつも見つからない。なぜか。この理由は気象業務法による制限があるからだ。

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常に晴れを願う

法的観点から

法律関係の話になるのでここからは細かい話になる。まず山岳天気予報を直接制限している法律をみてみよう。

気象等の予報業務の許可等に関する審査基準

第1章 総則
第1 予報業務の目的
予報業務(観測の成果に基づく現象の予想の発表の業務)の目的においては、特定向け予報(契約等に基づき特定の者に限って提供する予報であって、かつ、当該特定の者の利用に供するものをいう。)と一般向け予報(特定向け予報以外の予報をいう。)に分けることとする。なお、特定向け予報であっても、当該予報に関する責任の所在、当該予報の利用目的に応じた留意事項、又は、当該予報と、気象庁が発表する特別警報、警報、注意報及び台風情報との関係について正しく認識していないおそれがある利用者に対しても供されるものについては、一般向け予報とする。

なに言ってるのかよく分からない。天気予報には「一般向け予報」と「特定向け予報」の2種類あるらしい。結論から言ってしまうと、山の天気予報は、「特定向け予報」に該当しているため、契約等に基づき特定の者に限ってしか提供できない予報となる。ただこれでは分ける意味が分からない。「一般向け予報」の定義の「特定向け予報以外の予報をいう」も曖昧すぎる。

気象庁の質問コーナーにはこんなものがあった。

予報業務許可を申請する際に定めることになっている予報業務の目的である一般向け予報と特定向け予報の違いは何ですか。
 特定向け予報とは、予報業務許可事業者と利用者が、契約等の関係を結び、それに基き、その契約した利用者に限って提供する予報です。一般向け予報というのは、特定向け予報以外の予報です。
 例えば、予報業務許可事業者と利用者が、利用者が希望する地点の天気予報の入手に関する契約を結び、その契約にもとづいて天気予報が利用者に提供される場合は特定向け予報になります。その際、利用者は提供された天気予報を第三者に提供することはできません。一方で、予報業務許可事業者が、テレビやホームページなどで不特定多数に対して天気予報を提供する場合は一般向け予報となります。契約に基いて利用者に提供した予報を、利用者がさらに 不特定多数向けに提供する場合も、一般向け予報となります。
 特定向け予報と一般向け予報では、予報を受ける人が提供される予報に関して持つ知識(許可事業者の独自予報なのかどうか、予報にはどのような誤差があるのか等)が異なるので、行うことができる予報の内容が異なります。例えば、一般向け予報の場合、台風に関しては気象庁の台風情報の範囲内での解説にとどめ、独自の予報などを提供することはできませんが、特定向け予報であれば、独自に台風の予報を行うことができます。

https://www.jma.go.jp/jma/kishou/minkan/q_a_m.html

 うーん、分かったような分からないような。一般向け予報はテレビとか新聞の天気予報を思い浮かべればいいみたいだが。そこで、特定向け予報にはどんなものがあるか、目的とそのための情報の例を挙げてみる。

  • イベント実施の可否(イベント実施地点における、イベント時間前後の、降水量や風速)
  • 電車の運行の可否(線路周辺における、数時間~数日先までの、降水に伴う土砂崩れの可能性や積雪量)
  • ダムの放流計画(ダム集水域における、24時間の、降水量)
  • コンビニの商品発注(店舗周辺における、1週間程度先までの、天気や体感気温)

目的のためにオーダーメイドされた情報と言ったところだろうか。場所・時間・情報の種類がバラバラで、一般の人が使うのは難しい情報となっている。なお、特定向け予報に関してはほかにもこんな記述がある。

 気象等の予報業務の許可等に関する審査基準

第2章 気象等(地震動を除く。)の予報
第1 範囲及び条件
1 予報業務の範囲
(1)予報の種類

 

(中略)


ロ 予報期間
予報は、予報を行う時点から予報の主な対象となる時点までの期間に応じ、それぞれ 次の表の6種類に区分し、それぞれの予報の最小の時間単位は、同表の右欄に掲げる時間以上でなければならないこととする。ただし、特定向け予報の場合は、予報期間の区分にかかわらず最小の時間単位の制約を受けない。

 

2 許可等の条件
第2 観測その他の予報資料の収集の施設
1 予報を行う際に収集が必要な資料

 

(中略)


(2)現地観測値については、予報を行う最小単位の対象区域ごとに、その区域内の少なくとも1か所以上の地点の観測値を収集すること。ただし、急峻な山岳地域の気象予報を行う場合等を除き、数値予報に使用する解析値など現地観測値に代わると認められる資料を利用する場合は、現地観測値の収集を要しない。また、特定向け予報の場合は、予報期間の区分にかかわらず現地観測値の収集を要しない。

 

別記1 許可等の条件(第2章 第1 2 関係)
2.「特定向け予報」に関する条件
特になし

 特定向け予報は一般向け予報と比べ、制限がかなり緩いことが分かる。簡単にまとめると、特定向け予報とは、かなり尖った内容の情報で一般人を混乱させるから公開しちゃダメだけどその代わり好き勝手していい予報だ。

そして日本の気象予報の歴史として、1993年に気象業務許可制度が変わるまでは民間気象会社(ウェザーニューズとか日本気象協会)は特定向け予報しか業務として行うことができず、一般向け予報は気象庁しか行うことができなかった。一般向け予報と特定向け予報の定義や区別の目的が詳しくないのは、ここに原因があると推定される。民間気象会社はそもそも特定向け予報をする会社だったから、特定向け予報がどんなものか詳しく説明する必要がなかったのだ。

以上を踏まえて改めて山岳気象について考えると、山岳気象が一般向け予報と特定向け予報のどちらに分類されるかはかなり微妙なところだ。これが山小屋に向けた天気予報だったら迷うことなく特定向け予報に分類されるが、山に登る一般人を対象にすると判断が難しい。解釈によりどちらにも分類可能だ。でも結局特定向け予防に分類されている。これはどういうことかというと、気象庁の公式見解として、登山者は一般人ではないという判断が下されたことになる。一度でも山に登ってしまったそこのあなた、もう一般人には戻れません。

 

技術的観点から

ここからは予報の仕組みの観点から話をする。現代の天気予報は予報士が経験から予測を立てているわけではなく、風や気温などの時間変化をコンピュータで計算して将来の大気の状態を予測する方法をとっている(数値予報)。この方法は「格子点」という大気中の仮想の点がそれぞれどのように変化していくかを計算したもので、格子点の間隔を狭くするほど正確な予測ができるが、そのぶん計算量が増えるため、1週間先の予報では粗い格子点を、明日の予報では細かい格子点をというような使い分けをしている。

数値予報を行う手順としては、まずコンピュータで取り扱いやすいように、規則正しく並んだ格子で大気を細かく覆い、そのひとつひとつの格子点の気圧、気温、風などの値を世界中から送られてくる観測データを使って求めます。これをもとに未来の気象状況の推移をコンピュータで計算します。この計算に用いるプログラムを「数値予報モデル」と呼んでいます。下の図は、全球の大気を格子で区切ったイメージ図です。

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https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/whitep/1-3-1.html

 天気予報において地形の影響は無視できないため、数値予報では地形のデータが入力されているが、地形も格子点と同じように表現されている。そのため、11日先までを予測する全球モデルの場合は格子点も地形も20km間隔で表現されている。20km間隔だとどれくらいの精度になるかというと、北アルプス南アルプスなどの中部山岳地域は区別をすることができなくなる。39時間先までのメソモデルでは5km間隔、10時間先までの局地モデルは2km間隔と、予報が近い未来になるほど地形も細かいものが適用されていく。しかし、2km間隔でも北アルプス黒部峡谷南アルプスの大井川レベルの谷でギリギリ表現できるレベルであり、5km間隔だとそれすら表現が危うい。また、2km間隔であっても、2km四方の標高が平均される影響で標高3000mを超える地点がほとんど存在しないことになる。

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全球モデル(11日先まで)の地形、20km間隔

https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/whitep/1-3-5.html

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メソモデル(39時間先まで)と局地モデル(10時間先まで)の地形、5km間隔と2km間隔

https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/whitep/1-3-6.html

人口が集中している平野部では、地形が単調なため山岳地域に比べ大きな違いは生じない。そのため平野部ではこのモデルが示すデータはかなりの精度を発揮し、予報士は特別な解釈をする必要がない。一方で、小さな尾根をひとつ越えるだけでも天気が変わる山岳部において、地形データの粗さは致命的だ。山の位置関係も標高も正しく表現できていないモデルでは正確な予測は不可能である。よって、このモデル通りの予報をしても的中率は低くなるため、予報士の解釈の余地が大きい。的中するかは予報士の手腕次第であり、予報の手段も独自性がある。実際有料の山岳天気予報は予報結果にかなりバラツキがあり、同じ会社の予報であっても、「この人の予報はあたる、この人の予報は外れる」と言った評価が見受けられる。かなり厳しい世界だ。気象予報士には優しくしよう。

このように、予報結果のバラつきが混乱を招くことと、独自の解釈をするために制限を設けないようにすることが、山岳気象が「特定向け予報」に分類される原因になっていると考えられる。あくまで数値予報は街を対象とした予報だということだ。

 

無料のページは予報ではない

改めて推定値が書かれた無料のページを見てみると、あくまで数値計算結果だということが強く書いてあるため、おそらく気象予報士の解釈が入っていない。解釈が入っていないためこれは予報ではないという建前で、特定向け予報による制限から逃れていると考えられる。ただし、先ほど述べたように山岳地域においては解釈を入れないと天気は当たらない。そのため無料で見れる山の天気の推定値が書かれたサイトは基本的には当たらない。それはサイトの運営をしている会社も十分わかっているため、「これは予報ではない」とか絶対に書いてあるし、同じサイトのなかでも、無料の推定値のコーナーとは別に有料会員限定の予報ページがあったりする。

問題は登山者の多くが正しくそれを理解していないことだ。無料の推定値が見れるサイトでは、一部で登山をするための快適さを指標で表している。この指標は解釈を入れていない推定値から自動的に算出したものであり、予報とは異なるものである。しかし山では、この指標を天気予報のように捉えた会話を非常によく聞く。小屋の外がホワイトアウトなのに「指標がAだったから大丈夫」と言って出発していく日本人のなんと多いことか。目の前の景色を信じてほしい。気象業務法が完全に逆効果となり、法律による制限が気象遭難のリスクを上げる結果となってしまっている。もちろん一番悪いのは理解せずに情報を使っている登山者自身だ。気象庁の見解では登山者は一般人ではないので、気象に関する十分な知識があるとみなされている。しかし現状として危険を招いてしまっている以上、山岳地域に関する情報をさらに制限するか、無料で公開できるようにするかの対応が必要ではないだろうか。誤った情報を流せないようにするか、正しい情報を流せるようにするか、どちらかの対応だ。

なお、コンピューターの性能が上がれば格子点をさらに細かくすることができるため、あと10年もしたら山岳地域も平野部のような精度の数値予報を出すことができるようになると推定される。そうなれば現在の法律による制限もおそらく見直されるだろう。早く数値予報の精度が上がることを期待しつつ、それまで山岳天気予報にはお金を払おう。