ジャンダルムで揺れた鎖の音

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山と地質と街道とフィルムカメラのブログ 月1回更新

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山の品格とは見た目の美しさ。登ることがすべてではない

前回からの続きです。

gendarmes.hatenablog.com

 

 

まずは、歴史や個性が不足している山の具体的事例から考える。そのような山は北海道に多い(怒られそうだが…)。例えば、斜里岳羅臼岳深田久弥の「日本百名山」の中でも「歴史が浅い」という趣旨の内容が書かれている。個性がないとは言わないけれど、山の景色や地質に極端な独自性があるというわけでもない。ではなにが評価されているのか。

斜里岳

そこで「日本百名山」での両山の記述を見てみると、どちらも共通して評価されている項目がある。周りからみた山の形状である。斜里岳は「左右にゆったり稜線を引いた、憧れの山」や「美しいピラミッド」と評されている。羅臼岳も「山は大きく立派に違いない」と見た目に関する記述がある(”違いない”となっているのは、深田久弥羅臼岳に行ったタイミングは天気が悪く、写真でしか姿を見ていないため)。たしかにどちらも下から見ると大きく美しい山である。客観的表現になおすと、周囲との比高・ほかの山地との独立・均整のとれた形状、といったところだろうか。一般的に「ピラミダルな山容」と評されることが多い特徴を備えている。

羅臼岳

本州、四国、九州の山を見てみると、北海道に比べてどの山も歴史がある。そのため、山の品格のみで評価されている山は少ないと考えられる。一方で「日本百名山」のなかで品格について直接言及されている山もある。

品格という言葉が直接出てくるのは、高妻山霧島山などである。高妻山は周りの山々と比べて「山の品格からいっても一番立派」と評され、霧島山は「左右相称の形でスックとそびえ立った姿は、まことに神々しく品格がある」と記されている。これらも、周囲との比高・ほかの山地との独立・均整のとれた形状、の特徴を兼ね備えている。

高妻山

他の山の記述では、品格という表現が直接出てこなくとも、「品がいい」とか「気品」とか「立派」とか「風格」とか似たような表現が無数に出てくる。いくつか写真を載せるので、確認していただきたい。

名山の風格を持っていることが納得できよう(磐梯山

スッキリとして品がある(仙丈岳

三山の代表として駒ヶ岳を挙げたのは、山としてこれが一番立派だからである(魚沼駒ヶ岳

 

更に立派な五竜岳を見たい人は、唐松岳の上から眺めることだ(五竜岳

颯爽として威厳のある形(燧岳)

見てもらった通り、これらも同様に山の見た目がいいことが共通点として挙げられる。深田久弥の山のイデアがなんとなく見えてきたのではないだろうか。これらの事例から「山の品格」は山の見た目に依る評価軸といってよさそうである。その視点で「日本百名山」を読んでみると、品格と見た目について同時に記述されている箇所がある。それは四阿山であり、「眺めて美しい、品格のある山」と記されている。この書き方からは、「眺めて美しい”かつ”品格のある山」と「眺めて美しい”すなわち”品格のある山」のどちらの意味なのかを判断することはできないが、後者の捉え方でもいいのではないだろうか。

四阿山(写真奥)

ここで「山の品格」の定義に立ち返ってみると、「誰が見ても立派な山だと感嘆する山」とされている。「誰が見ても」は、観点的な意味の”見ても”だと捉えて読み流していたが、文字通り見ることを指していたようである。

荒島岳深田久弥が小さいころから親しんだ山、形状のイデアはこの山からきているかも

この推論が正しいとすると、百名山は登らなくともその価値を十分に発揮する。選定者が挙げた3つの基準(山の品格、山の歴史、個性のある山)のうち、登って確かめることができるのは個性だけだ(山に残っている建造物等で歴史を直接確かめることができる場合もあるが)。裏を返せば、登頂するだけで百名山を100%達成したということはできない。下から眺めた姿や人との関わりの歴史など、登っただけでは分からないことが多すぎる。山の周辺にも立ち寄らないと百名山は理解できない。

深田久弥は、亡くなる直前に書いた文章で次のように述べている。

山の好きな人には二種類ある。一つは登山そのものの困難にぶつかってそれに打勝っていくのを楽しみとする人、もう一つは、易しい山でもいい、少しでも未知の所へ行きたいという探検家的要素を持った人。 -中略- 自分の勇気や技能を精一ぱい発揮しようとするには、その困難な舞台に乏しい日本の山では、しぜんと広く多くを漁るようになるのではなかろうか。ことに活気のある青年期を過ぎて、スポーツとしての登山では若い者には敵わないと覚るようになると、一種旅情的な山登りに興味を見出すようになるのではなかろうか。日本にはそういうムキの山が実に多いのである。

深田久弥,1971,「日本百名山」その後.山頂の憩いー「日本百名山」その後ー,p.11-15.(新潮文庫

 

日本百名山への挑戦とは、山を中心としたツーリズムなのかもしれない。登山は旅の一要素であり、見るだけでも山は価値を発揮するのだろう。いろいろな山とのかかわりがあっていいわけだ。百名山にすべて登って気づいたことは、「登らなくてもいい」であった。