2024年3月にタンザニアに行った。キリマンジャロに登るためである。ノウハウをまとめたブログはほかにたくさんあるので、このブログでは取り扱わない。ここでは現地で日々つけていた記録を写真とともに振り返る。
同行者は友人Tの1名だ。
今回はキリマンジャロ登山編。
登山開始前はこちら。
3/15(モシ→マラングゲート1700m→マンダラハット2727m)
- 8時に宿まで車で迎えにきてもらった。車で約1時間ちょっとかけてマラングゲート(登山口)へ。車はものすごく飛ばしていた。たびたび100km/h出ていた。
- マラングゲートに到着後、ポーター等の手配で1時間待った。そのあいだにゲート近くの店で地図を購入し、ストックをレンタルした。前日にストックを持ったほうがいいと言われていたが、向こうが用意してくれるのかと思っていたらこちらで用意しなくてはいけなかったようだった。
- 9時にダイアモックス(高山病予防薬)を1錠飲んだ。
- メインガイドはエマニュエル、サブガイドはデニス、あとコック1人とポーター5人の計8人体制となった。
- ただし、見たことのない動物がたくさんいる。でかいリス、カメレオン、ブルーモンキー、首が白いカラス(ホワイトネッククロウ)、ツリーハイラックスなど。個体数もかなり多い。
- 12時に昼食(ランチボックス)を食べた。量が多くて食べ切れなかった。残りはガイドやポーターの昼食となった。
- ガイドブックには雨季は3月からと書いてあったが、ガイドによると雨季は4月かららしい。3月中旬の登山はぎりぎりかと思っていたが、雨季まではまだ余裕がありそう。もちろん年によって違うと思うが。
- 15時にマンダラハット(標高2727mの山小屋)に到着した。到着後すぐに雨がぱらついた。
- お湯をもらいタオルで身体を拭いたあと、ティータイムで紅茶を飲んだ。高山病予防のためにとにかく大量の水分を摂取する必要がある。
- ムルンディクレーターという小屋から20分くらいの場所まで散歩した。火山性のカルデラで、周囲には軽石が落ちている。日本では火山性の窪地はカルデラと呼ぶことが多いが、円形に窪んだ地形はすべてクレーターと呼ばれている(たぶん英語の本来の意味的にはタンザニアの使い方が正しい)。
- 夕食は、スープや魚のフライやいもだった。おいしかったが昼食と同様に量が多く食べ切れなかった。
- 小屋のあたりは気温が15℃くらいだった。砂ぼこりもなく、町より圧倒的に過ごしやすかった。
- 夜は星がきれいだった。友人Tのカメラで星空を撮影した。
- ダイアモックス(高山病の予防薬)の副作用には利尿作用もある。それにより夜トイレに3回行った。おなかも壊して下痢が出た。気持ち悪さはないのでただ食べすぎただけっぽい。
3/15(マンダラハット2727m→ホロンボハット3720m)
- 6時半に起床した。10時間睡眠だった。涼しくて町よりもよく寝ることができた。
- 朝晩にウォッシュという謎の習慣がある。お湯の入った洗面器と石鹸を渡されて顔や身体をタオルで洗う。けっこう気持ちがいい。
- 7時に朝食、7時半に出発と昨晩伝えられていたが、朝食が7時半まで出てこなかった。8時10分に出発となった。時間の捉え方は常にこんな感じ。
- 標高3300mあたりで森林限界を超えると、日本とまったく違う景色になった。ハイマツがないためである。
- 火山性の地質のため、沢に流れている水はかなりきれいだった。日本の沢と同様に、そのまま飲んでも問題なさそう(大腸菌等の判断はできないため自己責任)。
- 昼食休憩中にグラスマウスというヤマネに似たネズミが出てきた。
- 日本人の若い女性二人組とすれ違った。とても陽気な人たちだった。高山病になることもなく元気に登れたらしい。
- 前日と同様に昼過ぎから雲があがってきた。雨は降らなかった。昼は晴れて夕方は崩れるパターンを繰り返すよう。
- 前日もそうだったが、山の傾斜がかなりゆるい。あんまり登っている気がしない。日本の登山道はかなり急なことを認識した。
- 13時40分に標高3720mのホロンボハットに到着した。
- ロシア人のおじいちゃんと同室になった。エルブルースに5回登ったことがあるらしい。そのあと部屋が余ったのかそのおじいちゃんはいなくなった。
- 新しい小屋を建てている途中だった。泊まった小屋のとなりに焦げた資材が散乱して基礎だけ残っていたので、火事があったみたいだった。
- まだ高山病の症状はなく、頭は痛くない。ただし酸素は少ないので、足はやや重い。
- 食堂でもグラスマウスが走り回っていた。小さく見た目も汚くないので、日本のドフネズミほど不潔な感じがしない。
- 友人Tのザックの肩紐が薄く、ポーターに持たせていた私のザックと入れ替えた。
- 友人Tはおなかの調子が若干悪く、夕食を食べるのを諦め、日本から持ってきていたゼリーを部屋で食べた。
- 町の夜景がよく見えた。天の川もとてもよく見えた。
3/16(ホロンボハット3720m→キボハット4703m)
- 6時半に起床した。11時間睡眠だった。8時20分に出発した。
- 緊急車両用の車道があった。モシ方面まで続いている。いざというときはここまで来れば車でおろしてくれるらしい。
- 少し登ると搬送用のヘリポートがあった。こちらも緊急用。ただしモシまでひとり2000ドル(約30万円)かかる。
- 最後の水場はホロンボハットとキボハットのあいだにある。キボハットまではポーターが水を運んでくれるが、身体を洗う用の水までは確保できない。
- 柱状節理があった。平らな地形は玄武岩質溶岩による溶岩台地のよう。
- 途中で草もほとんどなくなり、アルパインデザート(高山荒原)と呼ばれるエリアに入った。日本の山の標高では、草も生えることができないエリアは岩場を除き存在しないため、日本には似た景色が存在しない。見たことのない景色でとても美しい。ただし砂ぼこりが激しい。
- 友人Tの胃腸の調子が悪い。昼食をほとんど食べられていない。
- 日本人のソロの女性とすれ違った。キボハット以降の頂上までの登りは、足元が砂になっていて登るのが大変だったとのこと。
- キボハット手前で、ケニアからのロンガイルートと合流した。このルートはテント泊限定らしい。
- 13時40分に標高4750mのキボハットに到着した。頭がやや重いが体調が悪いというほどではない。私は昼食をすべて食べることができている。
- キボハット周辺から斜面が圧倒的に急になっていた。キボ峰からの溶岩が直接流れてきているようだ。
- 明日のルートが見えたが、ほぼ崖にみえた。ほんとに登れるのか?
- 小屋で荷物整理をしていたら、友人Tが前日から使用していた私のザックから私のアイゼンが出てきた。体調がよくないにも関わらず、一日中重りを持たせてしまっていた。
- 町で買ったウォーターガード(水の消毒薬)を入れた水はプールの味がした。もはや生水とどっちが身体に悪いか分からない。
- お茶を飲んだあと高度障害が出てきた。身体も冷えてきた。手足の痺れがなくなっていたのでダイアモックス(高山病の予防薬)切れかもしれない。早めに服用した。
- 夕食をいつもの半分くらいしか食べられなかった。高度障害は何度か経験したことのあるつらさだがやはりつらい。脳も内臓も手足もすべての機能が半分になる感覚で、その場にただ座っているだけでつらい。いつもすぐに忘れてまた山に来てしまう。この痛みを忘れてはならない。
3/17(キボハット4703m→ウフルピーク5895m→ホロンボハット3720m)
- 22時45分に起床した(正確にはまだ3月16日)。4時間睡眠だった。しかしあまり寝られず、半睡眠半覚醒を繰り返した。キボハット以降の道はどう考えてもつらいため、起きるたびに進んでいく時間をみて、死刑執行を待っている気分だった。
- 頭が痛い。食欲もないので朝食が食べられずゼリー飲料に移行した。食欲がないだけで胃腸が死んでいるわけではないので、食べればエネルギーになる。
- ガイドがスタートから荷物をほとんど持ってくれた。自分では水やカメラくらいしか持っていない。
- 23時50分に出発した。出発時に頭痛薬を飲んだらかなり楽になった。
- 歩くペースは昨日までの半分以下だが、昨日までの倍以上の傾斜があり、圧倒的につらい。キボハット以降はキボハットまでとまったく違う山と考えたほうがいい。
- 2時40分に中間地点にたどり着いた。気温が下がってきたのでダウンを着た。シェルを脱いでダウンを着るだけでものすごく息があがった。大丈夫か俺の身体。
- この日の友人Tは胃腸が完全に死に、食べ物どころか水を飲んでもすべて吐いていた。結局この日のうちに嘔吐5回、下痢4回を記録した。どう考えてもエネルギーが不足している。どうやって身体を稼働させてるんだ。
- 前半は砂地を、後半は岩場をひたすら登った。昨日すれ違った女性の助言通りで、砂地では富士山のように足を持っていかれてなかなか進まない。
- 酸素が薄い。膝くらいの高さの段差を2回連続で越えると、酸欠になって耳鳴りと共に視界が真っ白になり、1分くらい動けなくなる。モンハンのスタミナゲージのようなイメージ。自分がなににどれくらい酸素を使うか考えながら行動を決める。本当に大切なものは失ってはじめて気付く。
- 斜面が急なのでひたすら九十九折りで登っていった。九十九折りだが500回くらいは折り返したような気がする。6時間ほど使ってやっとギルマンズポイントという火口の縁に着いた。
- ここからは最高地点のウフルピークまで火口の縁を進む。富士山のお鉢巡りみたいな感じ。ただし山の規模が大きいため2時間ほどかかるし、標高差も300mある。また、一部で雪が積もっていたが踏跡がしっかりしていてアイゼンを使うほどではなかった。
- ギルマンズポイントとウフルピークのあいだで日の出を迎えた。快晴。
- ウフルピークまでの道は、ギルマンズポイントまでの登りに比べて傾斜が緩いため楽だと思っていたが、ここが一番きつかった。あたりまえだが酸素が薄い。頂上付近は海水面と比較し酸素がだいたい半分の量となっている。途中から左肺の調子が微妙でなんだか息苦しい。左肺のあたりに重さを感じ、なんかカポカポ言っていた。
- ウフルピークには8時に到着した。景色がとてもよい。キリマンジャロの火口や、隣の山のメルーがよく見える。天気は良好だが寒いので、さっさと写真を撮って早めに下山となった。
- 下山の際もかなり息苦しく、頻繫に立ち止まって息を整えていたら、ガイドがザックごと荷物を持ってくれた。ありがたい。通常、ちょっとでも下る際は息苦しさがなくなるが、今回はそうならない初のパターンだった。息苦しさはキボハットまで下りたあたりで感じなくなったが、今まで経験のない感覚であり、何が起きていたかは不明。
- キボハットには11時15分に帰ってきた。この日はここで終わらずホロンボハットまで移動する。標高でいうと4703m→5895m→3720mの移動で、身体はボロボロ。
- 山小屋や登山道に置いてある一輪車は病人の搬送用らしい。6人で周りを囲んで搬送するとのこと。サスペンションがついているがとても揺れそう。
- キボハットからは12時50分に移動を開始した。途中で雨が降ってきた。ホロンボハットには15時20分に到着した。
- 登りきれたしいい景色も見れたので、次はどこに行こうかなと考えている自分がいる。つらいことはすぐに忘れる。
- 次に海外登山をするから持っていきたいもの。パックの味噌汁とアルファ米(白米)とアウトドア納豆。出汁や旨味がほしい。
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- 夕食後にチーフガイドのエマニュエルとチップの交渉をした。2人合計300ドルで決定した。内訳は、ガイド80ドル×2名、コック40ドル×2名、ポーター20ドル×5名。ポーターにも家族がいるとか、コックの飯はおいしかっただろ?とか、泣き落としが多かった。チーフガイドとサブガイドは働きぶりがけっこう違ったので、チーフガイドのエマニュエルには、もう少し多めに渡してよかったかもしれない。
- 夜は嵐になった。雷が鳴って大雨が降っていた。
3/18(ホロンボハット3720m→マラングゲート1700m)
- 6時半に起床した。昨日の雨は標高が高いところでは雪だったらしく、キボ峰が真っ白になっているのが見えた。我々は5日間の日程だったが、高度順応日を設けて6日間の日程にすることもできる。結果論ではあるが、6日間の日程にしたらアウトだった。出発は8時だった。
- 友人Tはまだ胃腸の調子が戻らない。毎食フルーツ一切れくらいしか食べていない。
- 17日の夜からダイアモックスを飲んでいないが、歩いていたらまた手足の痺れが出てきた。薬が残っているのか?別の要因か?
- 下りは歩くスピードがとても速く、登りの半分の時間で中間地点のマラングハットに到着した。
- マラングゲート間近で赤っぽいアリにすねを噛まれた。跡がしっかり残った。
- 12時50分にマラングゲートに着いた。登頂証明をもらった。
- 昼食後、荷物を積み込み行きと同じ車でモシへ向かった。帰り道の途中でトラックとバイクが衝突してバイクの運転手が倒れていた。そのあとやたらゆっくり運転してると思ったら、ガソリンがなくなりかけていた。安全運転に目覚めたわけではなかった。
- ツアーの一環としてお土産屋に寄ったが、出発前に行ったところと同じだった。
- マタタツアーズに寄った。チップの相場等、過去に登った日本人が書いてくれていた内容に助けられたため、私たちの得た情報も感想ノートに書き込んだ。
- 山に行く前と同じ宿に戻った。5日ぶりに入浴した。山の中は電波があまりなかったため、各種連絡を行った。
- 友人Tの体調がまだよくないため、一人で街へ出た。スーパーで紅茶やナッツのお土産を買った。
- レストランは相変わらずラマダンで休業中が多い。夕食はインド料理店へ行った。チーズバジヤ(インドの揚げ物)を食べた。
続きは来月。