ジャンダルムで揺れた鎖の音

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山と地質と街道とフィルムカメラのブログ 月1回更新

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山でフィルムカメラを使う理由

前の記事で触れたが、私は山でフィルムカメラを使って写真を撮っている。学生時代に出会った山仲間に影響されて始め、今ではどこへ登るにもフィルムカメラが手放せない。使い始めてたった数年の私がこんな記事を書くのは忍びないけれど、なぜ使うのかを考えてみようと思う。ちなみにミラーレス一眼も持っているので、ただの懐古厨というわけではない、前提として。

まずは山でフィルムカメラを使う機能的なメリットとデメリットを挙げてみよう。今回は機械式のフィルムカメラを比較対象として用いる。

 

メリット

電池の交換がいらない(少ない)

機械式のフィルムカメラの場合、露光計にしか電気が使われていない場合が多い。そのため電池交換がほとんど必要なく、使う頻度にもよるが1年以上もつこともざらにある。電池を交換することになったとしても、ボタン電池なのでほとんどスペースをとらず軽い。これは日帰りの山ではあまり意識することができないが、1週間充電できないような長期縦走だと大きなメリットとなる。石川直樹さんなど、いわゆる探検家と呼ばれる人たちは現在でもこの理由でフィルムカメラを使っている人が一定数いる。

 

 

寒冷地でも動く

基本的に山は街よりも低温になり、雪山では-20℃になったりもする。基本的にリチウムイオン電池は低温に弱いため、カメラが起動しなくなることもたびたび起こる。しかしフィルムカメラは前述の通り電池をほとんど使わないため、寒冷地でも問題なく動くことが多い(前の記事参照)。

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問題なく動く…?
ダイナミックレンジが広い

フィルムはデジカメのセンサーと比べてダイナミックレンジが広い(白飛び、黒潰れが生じにくい)。そのため同じ景色を撮っても色が残っている部分が多いことがある。

 

デメリット

感度が調節できない

フィルムカメラは感度がフィルムによって決まる。そのため一度フィルムを入れると使いきるまで感度を変更できない。そのため夜に写真を撮ることはかなり難しく、フラッシュ必須となる。フラッシュなんてついていないカメラも多く、気づくと夕暮れ以降の写真がない。

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フラッシュ
オートフォーカスが使えない

ピントがマニュアルフォーカスとなる(80年代あたりからはオートフォーカスが使えるものが多いが)。マニュアルフォーカス好きも一定数存在するが、撮るのに時間がかかるのは確実である。特に動物や人を撮るときに失敗しやすく、動物には逃げられ人の表情はこわばる。

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動物ってめっちゃ動く
自動露出が使えない

絞りとシャッター速度の調節がマニュアルになる(導入はオートフォーカスよりやや早く、70年代あたりからは自動露出が使えるものが多い)。撮るのに時間がかかるもう一つの要因である。撮るのに時間がかかると同行者が徐々にイラつき始める。

レンズの作りが甘い

近年はカメラ本体の機能だけでなく、光学系の進化も目覚ましい。昔のレンズはゴーストやフレアが多発するほか、背景は歪み、絞り解放時は露骨に画質が落ちる。今のレンズでは味わえない写りにはなるため、フルサイズミラーレス一眼にマウントアダプターを付けオールドレンズを使う変態がじわじわと勢力を拡大している。

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ぐるぐるボケと言われる背景の歪み
重い

機械式のフィルムカメラは基本的は金属製である。めちゃくちゃ重い。山で荷物が軽いことは安全に繋がるため、カメラに命を奪われる危険をはらむ。

写りが確認できない

下山してからフィルムを現像するまでどんな写真になっているか確認できない。そのため大切な一枚がうまく撮れていないこともしばしば発生する。フィルムカメラを持っているのに集合写真をスマホで撮りがちに。

 

圧倒的にデメリットが多くなってしまった。まあデジカメのが新しいので当たり前ではあるが。このデメリットに負けないだけの魅力がフィルムカメラにある!と言い切れれば話は簡単なのだがそんなこともなく、不便なものは不便である。ただしこの不便さが一種の付加価値になっているとも言える。撮るのに時間がかかるぶん一枚一枚が記憶に残るとか、現像を待つ時間があるぶん完成した写真を見るのが楽しくなるとかだ。これはフィルムカメラだけしかなかった時代には価値として考えられていなかったもので、フィルムカメラそのものというよりも、デジタルカメラを知っている人だからこそ知ることができる価値である。最近若者のあいだで写ルンですが流行っているのもまさにその理由で、普段はスマホで写真を撮っているからこそ、写ルンですの機能的な縛りが新鮮なのだ。

 

 

山では撮影の対象が主に屋外の景色になる。これはフィルムカメラとすごぶる相性がいい。撮影に時間がかかっても撮りたい対象に変化が起きにくく、十分な光があるため低い感度でも問題がないためである。機能的な縛りを楽しみつつ、我慢ならないレベルにはならないという絶妙なバランスとなっている(私にとっては。耐えられない人もいる)。

そしてフィルムの機能面でない最大の強みは色だ。デジタルで撮ったものよりも格段にいい(と感じやすい)色の写真が撮れる。フィルムとデジタルでは強く出る色や弱く出る色が異なるほか、フィルムにはハイライトやシャドウの箇所に色かぶりが起こる(影が緑がかったりする)。実際の景色に近いのはデジタルだし、加工の自由度も圧倒的にデジタルのほうが高いが、フィルムは空気感を伝えられるという表現で高く評価されることが多い。加工アプリのフィルターもフィルムを引用しているものが多く、Lightroomというソフトのプリセット(加工の設定)には、各種フィルムの写りに応じた加工になるようなものが人気を博している。それなら最初からフィルムで写真を撮ればいいのではと私は思ってしまった。見せかけるより本物のほうがいい。

長々と色々書いたが、この本物感が私がフィルムカメラを使う理由のなかで一番大きいものかもしれない。私は機能を無視した最適化されていないデザインが嫌いである。カメラ関係で言うと、ファインダーを覗くと画面が映っているミラーレス一眼や、レンズがいっぱいついたiPhoneの合成されたポートレートなどだ。機能として人気が出ることは理解できる。ただそれは本来のやり方ではない。せっかく軽くできるミラーレス一眼に画面を合成してまでファインダーを付けるくらいだったら一眼レフを使えばいいと思うし、高画質で広角なiPhoneのレンズでは景色を撮ればいい。最適化されていないモノは機能的な歪みが生じ壊れやすく、美しくない。機能美を持ったモノは壊れにくく、デザイン的にも無駄がないため飽きがこない。そんな私の価値観にフィルムカメラは合致した。そして撮影対象である山もある意味では作り物でない本物だ。地質と気候に支配されてできた山の形は、すべてに理由があり最適化されている。そんな本物で本物を撮るような使い方がカッコいいと思ってしまった。あとは私の写真の腕を本物にするだけである。先はまだ長い。