ジャンダルムで揺れた鎖の音

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山と地質と街道とフィルムカメラのブログ 月1回更新

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日本一落としやすい橋

橋ほど多様性に富んだ土木構造物はない。吊橋、アーチ橋、ラーメン橋、トラス橋など、大きく分けてもいろいろな構造があるし、構造が同じでも大きさやデザインが変化に富んでいる。同じような規模感の土木構造物としてトンネルがあるが、掘り方にはいろいろあるものの、出来上がるものの見た目が非常に似通ってしまう傾向があるため、差がわかりにくい。橋は違いがわかりやすく多様際に富んでいるがゆえに、日本百名橋も選定されているほどである。ちなみにトンネル百選はない。あっても写真集は間違い探しになる。

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アリゾナ州のナバホ・ブリッジ、橋の多様性は日本に限らない

橋の見た目の違いは、様々な条件に制限された結果である。主な制限は4つである。

 

  • 目的:なにをどれくらい通したいか。人なのか車なのか鉄道なのか。それらが1日に何人、何台通るか。
  • 地質:土砂の深さや基礎となる地盤の硬さなど。
  • 地形:橋を架ける場所の形。地質と密接な関係がある。
  • 材料:橋の素材。経済的か、そもそも手に入るか。昔の橋ほど材料の制限が大きい。

 

これらの条件に制限されたうえで、デザイン性を考慮しつつ可能な限り安価で長持ちさせるものを作る、というのが基本的なルールである。ただし、橋の作り方は日々進化しているため、同じ条件でも作られた時期が違う場合は違う橋が出来上がる。逆を言えば、同じ条件を持っていて作られた時期が近い場合は似た橋が出来上がるし、似た橋になっていない場合は何かしらの条件が異なっている可能性が高い。

例えば、明石海峡大橋と横浜ベイブリッジを比べてみよう。

目的はどちらも高速道路用でおそらく通る車の数も同じくらいで、必要な幅や耐荷重は近い。地質と地形は、海岸部の埋立地横の海上なので平坦で、基礎となる岩盤までの深さが非常に深いため、橋脚の数は減らしたい。材料はどちらも鋼もしくは鉄筋コンクリート。さらにどちらの橋も船の往来が激しい場所にあるため、海面からの高さを稼がなくてはいけないという追加の制約がある。明石海峡大橋の竣工は1998年、横浜ベイブリッジの竣工は1989年であり、竣工年はかなり近い。その結果、かなり似た形の橋となっている。

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明石海峡大橋、淡路島から

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横浜ベイブリッジ大さん橋から

ちなみにコンクリートや鉄が自由に使えるようになった近代以前は、ほとんど木材か石材で作られ、構造は桁橋かアーチ橋になる。現在はほとんど残っていない刎橋(はねばし)という構造もあるが、話すと長くなってしまうのでまた別の機会に。

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猿橋山梨県大月市に現存する刎橋

 

前置きが長くなってしまったが、本題はここからだ。この前徳島に旅行に行ったときのこと、有名な「かずら橋」に行ってみた。もう見た目から明らかにおかしいが、なにがおかしいか検討してみよう。まずは基本的な条件を書き出してみる。

 

  • 目的:人が歩くのみ。今は観光地となってしまったので多いが、作られた当時は1日100人も通行していないのでは。
  • 地質:三波川帯の緑色岩や泥質~砂質の片岩。硬いが層状に割れやすい。徳島城の石垣にも使われ、庭石として人気。
  • 地形:深い渓谷。
  • 材料:シラクチカズラのツタ。シラクチカズラとはサルナシのことで、キウイの仲間。なぜこれをチョイスした。

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かずら橋、緑の岩が緑色岩、黒いのが泥質片岩

構造は吊橋に分類される。目的や地質・地形は一般的であるが材料がおかしい。周囲は岩も木材もとれるし、わざわざツタを使う必要がないのである。このツタが特別珍しく強靭であり、丈夫な橋ができるとかでもない。なぜならこの橋、3年に1回架け替えている。頻繁すぎだろう。寿命が決まっている建造物もないことはない。白川郷の屋根の葺き替えは30〜40年に一度、伊勢神宮式年遷宮は20年に一度だ。それに対してかずら橋は3年に一度。やりすぎだ。この谷は橋がないと渡ることができないほどの川が流れているわけでもないし、費用対効果が合っていない。なによりそんなに素晴らしい橋なら他の地域にも架かっているはずだ※。前述したように目的・地質・地形はありふれているし、シラクチカズラはここにしかない珍しい植物ではない。低めの山ならどこにでもある。

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ツタを編んで作られる

ということはなにか別の目的があるはずで、解説の看板に理由を探していたら、この橋の起源には2つの説があるらしい。1つ目は、空海が祖谷に来たときに困っていた村民のために架けた。2つ目は、平家の落人が、追っ手が来てもすぐに切り落とせるように架けた。これ絶対2つ目だ(私見です)。空海がこの地になにか恨みを持っていない限り、こんな壊れやすい橋を教える理由がない。壊れやすいのではなく、壊せるようになのだ。捕まったら殺されるんだから、手間をかけるのには十分な理由だ。長持ちさせるという基本的なルールを無視しているからこそ、他に例のない橋が出来上がってしまったのである。

橋に詳しい人は、流れ橋を思い浮かべるかもしれない。あれも壊すことを前提に作られているじゃないかと。流れ橋とは橋脚と橋桁がしっかりと固定されていない橋のことで、洪水時は橋桁が流されることを前提に作られている。ただしこの橋は橋脚を残し復旧を容易にするためにあえて壊れるようになっているだけであり、維持を目的とした壊れであるため、最終的な目的がかずら橋とは真逆だ。今回の台風(2019年の台風19号)でも各地の流れ橋は橋桁がなくなったようだが、橋脚はどこも無事であるため復旧は容易であろう。

 台風19号 流された木津川に架かる流れ橋=13日午前、京都府(本社ヘリから、恵守乾撮影)

京都府の木津川に架かる上津屋橋2019.10.13

出典:産経WEST https://www.sankei.com/west/news/191013/wst1910130012-n1.html

私がかずら橋を渡っているとき、前を歩いていた小学生くらいの女の子が「この橋落ちちゃいそう」と言っていた。その感想は正しい。この橋を正しく理解できていると言えよう。女の子の隣にいた父親であろうおじさんは「大丈夫だよ、落ちることなんてないって」と言っていた。その感想は間違っている。この橋は落ちるのだ。むしろ落ちた時が、この橋が真価を発揮したときなのだ。落ちたらラッキーだと思ってかずら橋を渡りにいこう(現在はワイヤーで補強されています)

 

※ツタでできた橋が日本各地の深い峡谷にも架かっていたという話もあるが、現存していないため、詳しいことが分かっていない。葛飾北斎の浮世絵にもそのような橋が描かれている(飛越地域のもの)。橋としての寿命が短いため、前述した刎橋やワイヤーを使った吊橋に次々と置きかわっていったようである。国外にもツタを使った吊橋はちらほらあったようだが、ワイヤーには敵わなかったようだ。祖谷にツタの橋が残ったのは、非常に山深いため外界との文化的交流が少なかったという理由もあるかもしれない。